東海道五十三次
2020年1月19日 日曜日 現在進行中!!
晴れ 12度~1度
7:30~16:15
本日のルート
No.22藤枝宿~9.3km~No.23島田~5.3km~No.24金谷~6.9km~No.25日阪~8.0km~No.26掛川 total 29.5km
本日の歩行数:45,711歩 1転び
江戸日本橋から通算230kmくらい
本日の宿:掛川ビジネスホテル駅南
>>宿泊レポートにすぐジャンプする
旅の思い出
今日は1日、晴れだった。
静岡県も中部から西部にかかると、お茶屋さんが増えてきた。大井川のあたりで、川越の宿場が賑わっていた。
人形つきの宿場の再現が素晴らしかった。
甘酒はいただけないけれど、ゆでたまごを地元の方にいただいた。
ここまでで超えた川で一番の幅だった。川が渡れない当時は、20日近く川の両側で人が足止めをくらい賑わった宿場だというのも、うかがえる。
金谷駅のあたりでは、SL列車と日曜日ということもあり、ウォーキングイベントが開催されていて、途中30分ほど道中が賑やかだった。
東海道中で江戸時代から続く石畳は、日坂までの峠と箱根だけということで、江戸時代後期とさらに平成に再現された石田畳を行く。
森の中を行くこともあり、苔のついた前日の雨のせいもあってか、石田畳はとても滑りやすかった。
石畳のあたりから、日坂を下るまではずっと、茶畑の景色を楽しめる。
静岡=お茶というイメージは、このあたり独特の元のということに驚いた。一口に静岡といっても、はやり広い。
近くにある茶葉を一枚もいで、かじってみた。
苦味が広がって、かみながら、水を飲んでみると、苦めの緑茶を味わえた。
スペインのカミーノでも、前半のぶどう畑でよくつまみ食いをしながら歩いたことを思い出した。
自転車旅も徒歩旅もそうなのだけれど、道中車では見れないスピードで旅を進めると、目的地よりも移動そのものが楽しい。
台湾一周を自転車でまわったときに、日月潭という有名な湖の景勝地に立ち寄ったことがあった。道の駅があって、人気の観光地。私が立ち寄ったその日は、花火大会もあって、いい思い出だったのだけれど、私は日月潭にたどり着いたとき、その過程の景観の方が良かったな、と思った。
ランナーズハイのような高揚感からくるものだとはわかっているけれど、今回の茶畑の間を歩く小さな集落回りの道を行くと、車がとおって、早く目的地につける現代、あえてゆっくりとその過程を楽しめる、じっくりと茶畑の中を行くから気がつけることもあるな、と思った。
茶畑の間を行くときに、インドネシアのバリ島で原付を借りて巡った段々畑のウブドや、地元の人が起伏が激しいのでジープをチャーターしてゆく、インドダージリンの茶畑を歩いてのことを思い出していた。私はどちらも、大変な思いをして、行ったけれどそのときの味わいをここ静岡の国内でも思い出していた。
国内でも、旅のあり方次第で、気づきが多ければ、海外旅行と同じだけの感動が味わえるのだな、と思った。
だから、私は人力でゆく旅が好きだ。
日坂では、サイズの異なる旅籠を数件見比べることができた。
地元の方に「夜泣き石」という、広重の東海道五十三次の日阪にもえがかれた、
東海道のどう中にあったという大きな石の話を聞いた。
どうやら、私は途中道をそれたようで、今は別のところに設置されている夜泣き石そのものはみれなかったのだけれど、明治天皇が東海道を通るまで、道の真ん中にどかっとあるそれを、大名行列なんかも避けながら道中をいったという。
今でゆう万国博覧会のようなものに、明治時代に出品するために、静岡から東京まで夜泣き石を運んでいったり、それを地元に戻したり、といったことがあるくらい地元の人にとっては、その夜泣き石が特別だったのだな、と思う。
今日は昨日よりも寄り道少なく、到着することができた。
12月に歩いた東海道よりも、減量しているせいか、ペースよくここまでこれている。
私は歩くことで、一歩一歩歩みを進める中で、ちっぽけな自分でも物事を積み重ねれば、できることがある、ということを体感しているような気がする。
努力がすべて報われるわけではないけれど、前へ進まなければ、たどり着けない場所がある。
その一歩一歩が横への左右のステップだったら、いつまでも同じ場所になってしまうけれど、前に前に足を進めるだけで、自分が決めた目的地にたどり着ける「前進」ということは意外とすごいことだな、と思う。
「自転車旅は誰にでもできるんだよ。」
私が人生初のチャリダーさんに出会って、彼から聞いて人力旅に憧れた言葉が蘇ってくる。
「ペダルを回し続けたら、ちょっとずつでも先に進めるからね」
もちろん、タフな男性が1日に150km近く走れる自転車旅を私に比較すると、70kmくらいが今の限界だし、歩き旅にしても身長150cmのチビの一歩は、欧米人と並んで歩いたりすると、ゴールまでたどり着くのが、1日あたりで1時間遅かったり、体力差を感じることはある。
だけれど、それは比較することでもないし、遅いから劣っている、ということもない。人より時間はかかってしまったとしても、できないことはない、と歩き旅に教えてもらっているような気がする。
絶対の成功になるかはわからないけど、前に進んでいることは事実だ。
そのときに、正しい方向を向いていることが、=成功ということ。
それは、旅だけでなく、勉強や仕事なんかもそうだと思うし、できれば人芸関係もそうであったらいいのにな、と思った。
人間関係は難しいけれど、 相手にいいこと、親切なことを積み上げたら、それが前進、というそう信じて前に進もう。