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キラキラ、生きる。-旅する時間の話

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キラキラ、生きる。

 

この一文に表現したことはなかったけれど、旅をする人生や時間に求めることはこの一言に尽きると思う。

 

「旅する人生」と表現したけれど、確かに人生は旅、だし旅は人生が短期間に凝縮されるので、人生どうあるか、みたいなことを考えるには恰好の時間である。

 

けれど、旅=人生というよりは、

旅=一期間の時間の過ごし方に過ぎないのだな、

と思えるようになったのは、おそらく日本での日常が充実をしているからなのだろう。

 

非日常を求めるという表現があって、非日常というのはとても素晴らしいもの、追って然るものという考えがあった時期があったのだけれど、

 

非日常が全人生の10%で日常を90%とすると、どうやったってキラキラさせたほうがいいのは日常だ。

 

非日常だから〜といいながら旅を求めた人間たちもそれが長期になるとマンネリの時期を超えて、それが日常であることを体感してきている。

 

些細な日常をどうやってワクワク過ごすか考えることが楽しい。

 

例えば、私はもうすぐ35歳になるのだけれど、30代になってから独身ということもあって、自分一人のために使える時間は人生スパンで考えるとまだまだずいぶんあるな、と思っている。

 

ようやくみつけた天職と思える分野の勉強を掘り下げることもできるし、(これからがスペシャリストのスタートラインだ)(あわせてゼネラリストとしての山の口にもようやくたどり着いたとも言える)、趣味にしたってインプットの基礎を叩き込んだ時期を超えて、ようやく応用の起点にたち、これから追求することの楽しさを知っていく。

 

20代後半〜30代前半は得にキューレーション全盛期だったせいもあるかもしれないけれど、浅い知識で簡易に情報をまとめて発信することで見せかけのキラキラを発信する人が多い時代だったな、と思う。

 

私は体験していないけど、きっとこれってバブルだったのだと思う。

 

情報バブル。

 

泡のように、すぐになくなる儚いものをかさましして見せていたんだろう。

 

本質追求、とか。日常重視、とか。発信より自己の深堀。が次なのかな。

 

食べ歩きだって、純粋に限られた食事回数の中で幸せな時間を過ごすために毎回いいものを選択する確率を高めつつ、限られた時間を有効に活用する。そんなライフスタイルと同じだ。

 

発信することは大事だけれど、深堀していたら到達できる世界で、

没頭していたら周りが気がつく、そっちの方がずっと他人の目を気にせず心地よく、無駄なく、楽しい。

 

発信のための発信は無駄だ。

 

あくまでも、自分の復習とか、わがままの結果程度でいいじゃないか。