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【旅日記】東海道五十三次:歩き旅:9日目

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東海道五十三次

 

2020年1月18日 土曜日 現在進行中!!

東海道通算9日目 静岡県清水市 江尻宿 ~ 藤枝宿

雨 8度~4度

8:00~夕食後18:30

 

本日のルート

 

 

清水市 NO.18江尻宿~10.5kmNO.19府中宿~5.6kmNO.20丸子宿~7.8kmNO.21岡部宿~6.7kmNO.22藤枝宿 total 30.6km

 

本日の歩行数:52,569歩 1転び

江戸日本橋から通算200kmくらい

 

本日の宿:フジエダオガワホテル

>>宿泊レポートにすぐジャンプする

 

旅の思い出

 

今日は1日、雨だった。

 

といっても傘をさして歩いたのは、全体の半分くらいの小雨なのだが、終日雨が降り続けた。

 

府中宿は大きな町だった。「伝馬町」という地名が今も残されていて、宿場町といえど、この地名が残されているところは今までなかったこともあり、テンションが上がる。

 

宿場町の文化や事情を知るのに、事前に映画「殿、利息でござる」を見ておいてよかったな~と思う。

 

映画の撮影所があったらしく、旧東海道が一部「シネマロード」なるものになっていて、映画好きとしては、戦前の撮影機器が展示されていて面白かった。

 

途中の石材屋さんで、ガネーシャ様がいたので、恋愛と仕事のことをお願いした。

東海道を歩くと、日に少なくとも5カ所、多い日には20カ所近くの神社を通過するのだが、ここまで三島大社にしか立ち寄っていない。

 

東海道ガネーシャに願うなんて、日本て開国されたんだなぁと思う。

 

静岡をあるいていると、この地域が東日本なのか、西日本なのか、そんなことをぼんやり考えていた。徳川駿府のお膝元だけあって、どこか江戸日本橋のような安定した反映、平和な安心感をとても感じる。

 

丸子宿は、今も江戸時代の看板を各家々が掲げてくれていて、これも嬉しい。地元愛ってこういうことだと思う。

 

名物のとろろ汁は、アレルギーにつき、外だけでスルーした。

 

途中、ものすごい個性的なラブホテルに出くわす。私がデザインした宿泊施設はラブホテルみたいだと、今まで別の方たちから幾度となく言われた。

 

コンセプトがめちゃくちゃたっているラブホテルの看板。これが、旧東海道上にあるのだから、当時の人はこんな未来ちっとも想像していなかっただろうなんて思いをはせる。

 

「開国ぜよ」といった坂本龍馬は、こんな未来を想像していただろうか。

 

それとも、金沢で見た茶屋の室内も朱色や藍色のやはり遊郭的な場所は、そういった非日常なデザインを取り入れていたから、これを見ても納得するのだろうか。

 

宇津の谷峠では、毎週第3週の週末には、ウォーキングを楽しんでいるというおじさま五人組にあった。土曜日ともなると、20名くらいのツアーの方もいらしたが、みなさん思い思いのルートで東海道をカッチリ歩いている人には、相変わらずあわない。

 

峠超えの山道は短いが、歩きやすく、竹林が美しかった。

 

岡部宿では、大旅籠柏屋(入場料300円)を見学。

 

土曜日、雨ということもあってか、今日の入館は私で四人目だという。贅沢にも、スタッフさんがついて案内をしてくれた。

 

昔は、ヘリありの畳が高級でそちらが武士の間、庶民の間はへりなしの畳となっている。武士のお部屋の方は、庭園に面しており、とても眺めがいい。

 

今はガラス戸がはめられている縁側は、昔は外だったそうで、縁側に傾斜があり、雨が自然と流れ流ようにできている。

 

書院造りの和室のある旅籠は珍しいという。

 

蔀戸の仕組みをみせてくださったり、そもそも一つの旅籠で身分によって、部屋がしっかりと別れているのは、やはり余程の身分社会だったのだなぁと思う。

 

旅道具の展示は、ロングトレイルが流行った数年前「ウルトラライトハイキング」と銘打って、いかに軽い装備で旅をするか、なんてことがあった。かくいう私もモンベルバックパックと傘など、軽量化は意識している。だけれど、江戸の旅人の旅荷物の量を考えると、到底足もとにおよばない。

 

そもそも、持ち歩かずに旅先で借りたりするっていうのが、一番正しいよな~と思う。

 

面白そうだなと思ったのは、「好光よしみつ」という等身大人形をつくった静岡の人形職人さんがいて、その等身大ひな祭りの飾りが、ここ柏屋で2月~4月に飾られるという。

 

先日もひな祭りの飾りの話を蒲原で聞いたばかりだったのだけど、内地の地方の人はこう言った伝統を都会や北海道よりもやはり大切にしていて、早めに用意をするのだな、と思った。

 

そのあと、藤枝宿の途中で、観光案内所にもたちよったのだが、そこで静岡県の地方の違いの話を聞いた。

 

東部は、おっとり。

中部は、ぽわぽわ。

西部は、ちゃきちゃき。

 

同じ静岡県内でも、ちょっと、県民性の違いがあるらしい。

 

「~だら」というのは、東部静岡市側の人で、名古屋弁に近いのが西武の人。

 

富士市は、静岡県内で一番外食する肉好きが多いとか、富士川を境に東側は、東京電力の管轄なので、3.11の時には、そこから信号がついていなかったという。

 

熱海の人は、自分たちのことを神奈川県民だと思って、静岡と一線ひきたがるとか、磐田に行くと口が悪くなるとか、一つの県なのに、違いを教えてもらうと、以外と内地の県民性ってあるのだな~とびっくりした。

 

と、いうのも私は札幌の人と小樽の人がどう違うとか、帯広の人ってこういう人~みたいな考えをもったことがなかったから。

 

例えば、「旅好き」という共通点だけで、スペイン人のおじさんと、モンゴル人の未成年と日本の私が共感しあえる話がある。

 

一方で、同じ日本で育っているのに、岡部の大きい椿原さんと、札幌の私の知っている世界は、とても違った。

 

岡部は、JRが通らなかったこともあり、旧道愛が今も残るという。また、同じ名字の人がまだ同じエリアに集中しているともいう。

 

蒲原でも、岡部でもおもったのだが、昔「町」だった地域の人は、懐っこい。

 

誰もがお互いを知っている環境で育つと、悪いこともできないし、自ずと人間関係をきることもできないから、協調性が育つのだろうな、と思った。

 

そして、わざわざ歩いてそこを見に来る人を、とても暖かく迎えてくれる。自分の好きな地元に、来てくれる人に感謝しているのだなと思うけど、そもそも人懐っこくて、誰にも優しい人たちが多いと思う。

 

私は、小さな集落が好きだ。

 

「旧道しかなかったから。東海道しかなかったから」と、観光案内所の気さくな大きい椿原さんはいったけど、別に新しいものを取り入れなきゃいけないことってないし、外にあるいいものを必ず自分のところに真似しなければなんてこと全くない。むしろそれは、面白みがない。

 

手の中にあるもの、昔からあるものをしっかりと見つめて、それを活かすこと。

それが、その地方だったり、その人の魅力を最大限に活かすことだなと思った。

 

静岡にセブンイレブンの進出が遅かった話をして、彼女は静岡は保守的だといったけれど、私はそれがとてもいいことのように思えた。

 

だから、いいものがそのまま残されていたりする。

 

たとえば、札幌には古い歴史や文化がない。だから、インテリアのコンセプトをつくるときに、和モダンは好きだったけど、北欧、とかインダストリアルとか新しいものを入れていた。今考えると、現代的ではあるし、それが多数の流行に乗っているという意味では正しい選択だったのかもしれないけれど、自分の価値観と100%あっていたか、というと「ウケ狙い」だったな、と思う。仕事だから、それが正解ではあるのだけれど。

 

商業的成功と、文化的成功はイコールではないから。

 

本来なら、インダストリアルは、そこに本物の工場があって生かすから生きるし、ボタニカルは本当に植物が育つ環境だから、融合性がある。

 

本物には、勝てない。

 

桜エビが特産なら、桜エビ。しらすなら、しらす。みかんが育つなら、みかん。

そうやって、地方の特性は、環境の変化にもよって変わっていくけれど、急ぐことなくありのままを楽しめた方がどんなに楽しいだろうと思う。

 

世の中がそうであってほしいな、と思う。

 

札幌で韓国料理が食べれるのは嬉しいけれど、韓国料理が食べたいから、韓国に行く。その生活の方が私は、好きだ。

 

あるがまま、ありのままを受け入れること。

 

それが、今回の東海道の裏テーマなのだけれど、地方の町から、そこに今も住む人々から、色々なことを教えてもらっている。

 

ここ、1ヶ月くらいで、自分の価値観がしっかり浮き彫りになってきている。