destiny is matter of choice

日々のこと、旅のこと。徒然なるままに。

たったの1時間でいい。

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昨日、インドへの飛行機チケットをポチってしまった。

(それも貯めに貯めていた、2週間近い貴重な時間を使う)

スカイスキャナーで安く見えたので、発掘した!という気持ちの高揚がきっかけだ。

 

旅は好きだけど、30代中頃に近づき、20代のように貧乏旅行こそ楽しいのだ!という気概はもうすでに持ち合わせていない。

 

体力に自信がなくなってきたと言いながら何もせずにいる毎日。

そんな時に、インドに行くことは、体力があればメンタルやられてもなんとかなりそうなのだが、体力がないのでどうにもならなさそうなのである。

 

決めたからにはワクワクする道を選ぶしかない。

 

なんで、インドなんか選んでしまったかといえば、ヴィパッサナー瞑想に浸ってみたかったのだ。

 

性根がぐうたらな私は瞑想なんて高貴なことを日常の中で数分もやらない。要は、お尻に火がつけられなければ、その状況下に立たされなければ、崖っぷちに立たされて初めて行動するタイプなのだ。

 

ので、精神的に澄むには、ヴィパッサナー瞑想にでも行かなければ、無理。というたったそれだけの根拠なのだ。

 

ぐうたらしたいからというよりも貧乏性なので、2週間もぼーっとするためにだけインドに行くのが惜しいのだ。そもそも、日本でも体験できるのにインドを選んだのは、旅感があるし本場のほうがいいだろうし、3食カレーを食べながらやったら、何か違うかもというちょっとでも得したい貧乏性ゆえのポチり。

 

にもかかわらず、自ら追い込んだその状況に、クレジットカード会社経由で飛行機チケットをキャンセルしてみようとしたり、変に1番あがいてしまった。

 

そして、翌日ビザもとらなきゃいけないし、そもそも修練場所にはコルカタから夜行列車で行くレベルの遠さなので、格安の35時間乗り継ぎ2回フライトの後に、インドの寝台列車というKOパンチをなぜか自らに課してしまい、もはや20代でも苦行だったその体験にワクワクすることなど一切できずに、もわ~~んとした気持ちで過ごしている。

 

そして、2時間枠の宅急便の荷受をしなければならないということで、仕事で新現場に入ったのだけれど、これが珍しく仕事がたまっておらず、経営分析なんてできてしまうくらいの頭の余裕があった。そして、荷物を待つこと、10分、20分。はじめの20分くらいで大方やろうと思ったことは終わり、1時間という時間の意外な長さにびっくりする。

 

ヴィパッサナー瞑想では、10日間、1日12時間とかだろうから、120時間をぼーっとするというのは、果たして時間の無駄遣いにならないのだろうか。ぼーっとすることも、スケジュールを組んで時間を管理することも相反するようで私はどちらも好きだ。中でも一番幸せなのは、「ぼーっとするスケジュールを組んで、ここはぼーっとしていい時間なのだ」とスケジュールされたぐうたらが最高だと思っている。スケジュールされているので、何の罪悪感もなく、むしろ「優秀なぐうたら」になったような気分になり、罪悪感を持つことなくぐうたらすることができる。

 

ようは、1時間でいいのでは?という話。