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あなたは1年のうち、どれだけの「自分デザイン」の時間を過ごしているだろうか?

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自分デザインの時間の作り方

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「自分デザイン」の時間というのは、人に強制されたり、人にスケジュール、誘導されたりせずに自身でこの時間はこう使うとイニシアチブをとりながら、己の思うままに使える時間ということだ。

 

例えば、「休日」という考え方は会社に勤めている場合、仕事のスケジュールありきで休みをいただくものと考えがちなのだが、もし仕事を自分の選択で選ばず(選べず)にいて場合週休2日の場合、人生の5/7(70%)を人にデザインされた時間を過ごしていて、2/7(30%)の割合でしか自分の時間をデザインしていないということが言える。

 

しかも、それに不満を感じて嫌々過ごしている場合などはこの30%の時間すらネガティブな思考に支配されていることがあるのではないだろうか。もちろん、仕事が楽しくて70%の時間も自分らしくデザインできているというが最終理想系である。

 

ここに、ストレスを感じることというのは、よく言えば自立していて、悪くいうと融通が利かないということだ。

 

自己主張のウェイトが大きいと如何しても「あいつはわがままだ」という見られ方になってしまうのだが、そもそも「人の時間を管理できる」と思っている組織や経営者の方が「搾取思考」の持ち主でとても危険だということを基準としたい。

 

もちろん、経営者側も搾取しようとしているのではなく、あなたのことを頼ってくれていて、その結果NOと言えないことでバランスが崩壊しているに過ぎないのだ。

 

NOと言えない背景には、わがままだと思われるからではなく、「責任感ゆえに遠慮をして結果自己犠牲のスパイラルにはまる」というのが日本人の特性だと思うし、また会社に対する感謝と貢献意識言えというところが大きい。

 

また上手に折り合いをつけているように見受ける人は、そもそも自分デザインは30%までという観念があるのかもしれないし、とても上手にコントロールしている人たちなのかもしれない。

 

しかし、そもそも一度しかない(と思われる)人生を30%しか自分の思うようにデザインできない思考スパイラルから飛び出すことが目的である。デザイン自体は100%しているけれど、時間は30%の中でやりくりしている。というのもこのケースに当てはまる。

 

会社に譲歩してみたり、会社に譲歩してもらったり、いろいろ試行錯誤の中で私がたどり着いたのは、「1週間のうち少しの時間をこちらに」なんて言っている遠慮がちなスタンスでは、「この期日で!」「これを早くやりたいんだ!」などといわれたら、力や思いの強さを判断基準にすぐにこちらのゆるいスタンスなどぽきっと折れてしまうのだ。そして、目先のことや会社のためになっていることではあるので、あたかもそれが一番大事な目的であったようにその瞬間の満足感で補われ始める。

 

これがまだ、相手が一人であれば、搾取される時間は少ない。しかし、一人が1つずつ。これが5つ、10つと重なった日にはもはや自分の時間がゼロになることだってあり得るのだ。

 

70%の時間で絶対に割り切るということができるのが、雇われであったりホワイト企業の内部だが、さらに責任感を増したりするとのこり30%の時間からこの時間が「分け隔てなくNOといわないために」捻出されることになる。

 

時間を奪ってくれる相手が愛する子供や家族だったりする場合は、正直自分にも「愛」という見返りがあるのだが、これが今回1件しか付き合いのない会社の取引先、だったり、あるいはお客様ではなく、こちらが商品を買っている場合の一方向な取引先だったりする場合は何のプラスもない挙句、それがあなたの人生の時間を給与で買い上げてくれている会社時間ではなく自分時間になってしまうのだ。

 

悲しいかな、この会社時間と自分時間という考えは 月いくら時間いくらという給与形態で働いている以上は生活のためもあるがこのスパイラルから抜けられない。もちろんこれは生活への補償でも安定基盤でもあるので、これを手放しては絶対にならないのだ。

 

しかし、この会社時間と金額の割合は時給でもあり、生産性でもある。その時間の割合を増やしてしまうことは結果として自分の時間価値を低くしたり、生産性を落とすことにも他ならないのである。

 

では「1週間のうち少しの時間をこちらに」というスタンスでは結果的に、時間割合のバランスすら崩壊するという話になったが、どうすればいいのか。

 

仕事のパフォーマンスを出したらすぐにまとまって回収する。という方法をお勧めしたい。これにはプロジェクトごとという区切りがわかりやすい。一つ終わったら、一度休む。次のプロジェクトがありますといわれても、それは無視を決め込むぐらいの気概が必要だ(だってそのスケジュールは自分デザインになっていない)。そうすることで、次なるアウトプット期間である次のプロジェクトにもリフレッシュして、最大のパフォーマンスを提供するというワークに対するコミットも達成できる(会社側からしたらそれ以外に求めるものはないのだ)。精神的にも、win-winの蓄積がどちらか一方にたまるということもないし、この「一つ終わったら、一度休む」が自分デザインの時間の物差しと決まってしまっていれば、あとは何が来てもNOというだけ。というルーティーンを作ってしまえるのだ。「NOといっていいのだろうか」という疑問からずるずるくらいなら「一つ終わったら、NO期間なので、入りようがない」という器を小さくする方法、そもそも器を用意しない方法。すべては割りきりと自分がそれをしっかりステイトメントとして、他者もあの人はそういう人という確率が行くまで繰り返し、しみつかせる。自分の周りの社会をじわじわ教育することで結果的に自分デザインをスタンダードにしていくということが絶対必須条件なのである。

 

これについては、遠慮がちになっていて爆発した時に「NOといいましたか?時間からはみ出して依頼された業務は代わりに持っていますよね?」といってくれた存在のおかげであることは特記したい。一人では自分デザインはできるものではなく、周りに周知して、時に周りにその分のwinをあたえて(それは同様のことをその人が望んでいることなら、お返しをしてあげることであったり、あるいは仕事の権限や賞賛がほしいなら、そのお株を譲りさえすればいいのだ)、そして成り立つ。

 

ワークライフバランスという言葉には、ワークという言葉の中に「会社と同僚」2つの要素が含まれていることを忘れてはならない。