「旅する本」という概念が好きだ。
これは、角田光代さんの書籍タイトルにもあったようだし、
旅をする本というのは、「紀行」ともとれるし、実際に旅人が旅のお供に連れていく本というのもある。
2つめの紀行読書は好きだし、私の読書テーマの一つでもあるのだが、
私が意味するところの「旅する本」というのは、この3つ目の「実際に旅人が旅のお供に連れていく本」に由来する。
「読書好きなのは、人の話を聞くのが好きだからかもしれないな。」とおにいさんは、言った。
旅をするというのはそれだけの「人生の物語を紡いでいる」という行為だと思う。
例えば、人生のライフイベントの中であなたにとって大きな出来事を教えて下さい。と言ったら、あなたはどんな話をするだろうか?
留学、結婚、離婚などいろいろなライフイベントを通過してきた私も、自分の人生の物語をひとつ誰かに語るとしたら、
「30日歩いて海まで行って、裸で泳いだ話」を選ぶ。
それはもちろん、ひとによって物語の切り取り方は様々なのだけれど、
360日の日常を5日の非日常が買えてしまうことは多々あり、旅をするのはそんな物語を欲してるからなのだよなぁとつくづく思う。
だから、旅をしない人に興味を持たなくて、面白いだろうという前提に話を聞きに行けないそんな姿勢はあるのだけれど。
さて、「旅をする本」に話を戻そう。
「旅をする本」は「読書好きなのは、人の話を聞くのが好きだからかもしれないな。」といったおにいさんが本の背表紙に夢を描き続けたお話だ。
旅と読書が好きな青年が、旅をする間に読んだ本にナンバリングをし、彼が読んだ本に夢を描き続け、そしてその本に図書館の貸し出しカードに記名をするように日付と読み終わった都市、名前を書いてその本を次につなぐというもの。
彼は、実際に世界を股にかける旅を終えたときにその活動に終止符を打つのだけれど、実際に世界には(すでに他の旅人が持ち出して、どこかの宿に置いておくなどして出回っていたものも含めて)数百冊の「旅する本」が散らばっている。ブッククロッシングのように、トラッキングできるサービスもあれば、専用の本棚が世界中にちらばっているものもある。
世界中を旅した人はいくつものたくさんの話を持っているのだが、この素朴でありつつ彼の習慣であった物語をなぜかおにいさんはあまり語らない。けれど私は彼が出版した本に書いた物語以上にこのお話が一番素敵な物語だと思っている。
ーー
地球全体に、旅するものたちが散らばらせた書物がある。
地球全体を書庫として、その中を旅人たちの手渡しで本が旅をする。
地球全体が、一つのおっきな図書館。
人と出会うように、本と出会う。
人と再会するように、本ともまた、再会する。
そういえば、映画セレンディピティの中に、
運命を試した男女がある本の内側に連絡先を書いて、
それが巡り巡って彼らを再度つなげるエピソードがあった。
オンラインにも繋げられる世の中で、
ただアナログに出会いがまたつながる可能性を秘めている。
ーー
旅する本はアナログでしかつないでいかれないので、この話を今ここで書いても読んだ人からすると手元に届くまではその存在すら幻のように思えるお話だ。
そして私もこの旅する本のシーズン2として読んだ本を旅先に置いたり、旅人に渡したり継続していることは伝えるが、
おにいさんと旅がクロスして交換しあった数冊を除いて、私もまだ回り回った「旅する本」には出会っていない。
読書というのは作者と読み手の個人の一方的なコミュニケーションの形だと思うけれど、
旅する本はそこに読者の記名が加わることで本好きの旅人がクロスする。
この旅する本の続きの話をいつか聞きたいと思うし、
旅をしない期間には私の手元に本が溜まってしまっているので、この記事をみて送っていいですよ~という人がいたら手放しに喜んで次につなげたいと思う。