destiny is matter of choice

日々のこと、旅のこと。徒然なるままに。

20代じゃないとダメですか?

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 例えば人生観発信系のブログを読んでいて思うことがある。

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1つは、おそらく自分のことを発信できると言う事は、心が強いと言うよりも自意識過剰ではないと言うことな気がする。

2つ目は、20代後半の人は若者に対して発信すると言うのが1つの主流になっていて、30代がとても入りにくいコミュニティになっているということ。

 

コンタクト取りたいと思っても、恥ずかしいと言う気持ちから連絡が取れなかったり、あるいは自分で発信すると言うことにも恥ずかしさを感じてしまう。

万が一自分が発信したいのは例えば札幌のことだなと思ったとしても、会社の人がもしそれで書いてるのであの人じゃない?と言ってしまうことが恥ずかしいんだ。

つまるところ自意識過剰すぎるのだと思う。

 

発信力発信力と言うけれど発信することが恥ずかしくて行動できずに怖気づついてしまうそのまえ段階について、どうやって勇気を奮い立たせると言うそこの壁のこえかたが大事なのだ。

例えば人と一緒にやることがそのモチベーションになるよと言われたり、だからオンラインこみに行きに入れば良いと言うことになるのかもしれないが、そもそもそれに対する勇気が、古い立たないのだ。

好奇心はる、だけれども、恥ずかしい。

そこには恥ずかしくてもその壁を越えてみようと言う素直さと、春を奮い立たせてくれているのは年下だからとか自分は30代だからとか、そんなことすらも気にしないような謙虚さがあればいいのかもしれない。

 

と、いうよりはどうして私は世代をきにしているのかなーとか、仕事で部下がいるからかなーとかおもったけど、そもそもこれは長女病なのかもしれない。

 

実際には20代じゃないとダメということは決してなくて、(むしろ20代後半に差し掛かったフリーランス売りの人たち)は現在は、20代前半のこれから社会人になる人をターゲットにしているけれど、社会人経験(組織ではたらく経験)がなくて、入り口は良くても、次のステップにその読者たちがそだった時にはきっとファンが離れていってしまうのではないかと思う。

「それと一緒にしないでいただきたい」と憧れをもちながらも高慢さを捨てられない自分がいるから未だにナナメから物事を見ているのだ。

 

でも、オードリーの若林さんも35すぎくらいからナナメ卒業して、しっかりおじさんになれたみたいだし、時間の経過が大人を作ってくれると信じて日々過ごそう。