趣味と言えるほどではないのだけれど、落語をたまに聞いています。
はやおき落語
wowowオンデマンドを利用しているのですが、
「家のインターネットいらないよね」とそこを削った両親の家でも、
WOWOWだけは未だに契約しています。
映像配信のサブスクリプションサービスが月1000円程度なので、
2倍近くするのですが、舞台や演劇に強く、映画も他社が似たような作品ばかり配信している時に、掘り出し物が見つかるのが、WOWOWの特徴です。
もうすぐ、配信は終わってしまうのですが、
そこに「はやおき落語」というコンテンツがあります。
二つ目や真打ちでも初心者には馴染みのないいわゆる若手・中堅の噺家さんたちが
かわるがわる出演していた「渋谷らくご」という寄席の配信です。
落語との出会い
腰が重い方なので、「趣味」と言えるものが欲しいな〜と思いながら、
のらりくらりする日々。
そもそも、どうして趣味探しをするのかといえば、安定した毎日に「ぬるま湯につかっているな〜」と感じ始めると物事がうまくいっていても、「熱中」を欲してきます。
「熱中」することの強さを知りながら、「熱中」って、気がついたらなっているもので、そこに自身を引っ張れるかどうかはまた別物で難しいです。
読書とか、勉強とか、映画とか、何年もずーっと続けていてもそれが「熱中」なのか、というとそうではないな、とふと気がつくのです。
旅好きとして、近年思うのは、「旅好きは一所に腰を据えて、その生活を楽しむことができるのか」ということです。
刺激を求めて旅にいくことは容易にできるけれど、日常の中に楽しさを見つけたり、目の前に熱中することができることの方が満たされているということなんじゃないかと。
そして、身の回りのことを深く知って、一つのテーマを掘り下げたりした上で、他に目を向けて、旅をする方がいいよな、と深みを求めだしたということです。
どうして趣味探しに目を向けたのか、という始まりはそもそも「仕事だけ」が熱中の種でそれで良いと思っていた時期に疑問が湧いたからでもありました。
でも、たった数年やってみただけで、もちろん仕事は楽しいけれど、自分だけの財産にはなっていないな〜と思いました。
泣きながら仕事して、熱中がよくもあり、それでも、周りはそれほど仕事には熱中しておらず、そこに仕事に熱中している人間の「犠牲」が横たわっていました。
仕事だけの熱中では、この先、虚しいことになる。「熱中」の前には、いろいろなかじりと模索期がもちろんあります。
落語を聞いてみようかなと思ったのは、オードリーの若林さんが趣味探しの中でもとりいれていて、「一人上手の趣味」としての興味があったから。
それから、昔から江戸の暮らしに興味があったので、面白いテーマだったから。
噺の中には、演技、芸、笑い、いろんな要素が含まれています。
一つ一つの噺にそんな、深みはありません。
人生考えさせられる要素の話には、出会っていない。
だけど、噺家さんのそこまでに行き着く背景は、
「熱中した」人間の結果で、それが生まれとかに関係なく
センスと手ぬぐいだけの、シンプルな落語は深みにはまってみたくなるのでした。
まだ、私の熱中にはなっていないけれど、ゆるい毎日のエッセンスにはなってくれている「落語」でした。
配信のおかげで13時に起きて、「はやおき落語」見てます。