destiny is matter of choice

日々のこと、旅のこと。徒然なるままに。

【旅日記】東海道五十三次:歩き旅:17日目

スポンサーリンク

東海道五十三次

2020年1月26日 日曜日

東海道通算17日目

 

本日のルート

関6.5~坂下~9.7~土山~10.5~水口 total26.7km

本日の歩行数:50,850歩

江戸日本橋から通算423kmくらい

 

本日の宿:

9:30~19:00

 

旅日記

 

ケンさんの前日合流は叶わずも、それはなんと京都在住だと思っていたケンさんが今も三鷹在住だったからだった。なんと、名古屋泊をしてまで、今朝、私鉄の関駅まで1時間の待ち合わせとかを乗り継ぎながら、9:17分に石垣屋まで来てくれた。宿前で彼を迎えると、関の宿場を見慣れた出で立ちのケンさんが登場した。髪が伸びたけど、昔の印象のまま話やすい人だった。

 

今朝は旭川出身の同級生、ちゃおずを送ったあと、石垣屋の常連のガンジーと部長、タクさんの奥さんが私たちの記念撮影をして送り出してくれた。とてもいい写真だった。昨日の夜から、よく笑った。

 

今日は東海道にこだわらずも、鈴鹿峠にさしかかるころには、傘をささなくていいほどに雨は止み、途中にはぽかぽかとした青空の下で休憩できるほどだった。ずっと同じゆっくりペースでケンさんと話題が尽きることなく歩き続けた。途中、宿場の展示をみたり、ローソンでお昼をとったり、峠も山道の間、国道沿い、トンネル、神社に立ち寄ってお参りをしたり、そのまま学校のグラウンド横のあぜ道、田んぼの間、東海道の旧道沿いとバラエティに富んだ道を歩いた。

 

分岐でどちらの道を選ぶのか、寄り道するのか、すべてを一緒にその場のノリで決めながら歩いていく。カミーノのときも、ケンさんは長時間一緒に会話をしながら歩いても、楽な人だった。同じくらい自分の話をしたり、聞いたり、バランスがちょうどいい。彼も仕事の合間、たくさん旅行に行っていた。そして、同じような旅を好きな人、宿が好きな人というのは、価値観が一緒で心地いい。私が車道側を歩かないように気をつかってくれたり、神社に参る時の礼儀だったり、いやなポイントがない人で、人とのコミュニケーションをあまりとらないようなことをいうけれど、私とは波長が合う。彼と話しながら、沼津以前の独立を決めた時の自分のこれからの人生の展開や札幌に帰ってからやること、どんな旅をこれからしようとしていて、どうそれを仕事にするのか話をしていると、とてもワクワクした。

 

彼は、カミーノであったとき、中山道、カミーノ、寺での1ヶ月と貯金がゼロになるまでゆっくりと、部屋や車を維持しながら、焦らずに答えが出るまで、ゆっくりと時間を費やしていた。私もそれでいいのだと、教えてもらった。東海道の人の少なさの話をしていたのだけれど、それは宗教に基づいた道ではなく、物流に根ざした道だったから、電車や車と手段が変わる中で東海道が流行らなくなってしまった、という話をしていたのだけれど、その通りだな、と思う。

 

そして、旅の手段がかわっても、人に会うことや、その地元の特性を楽しむこと、一次情報で体験するという旅の意義はなくならず、原点回帰をしていくだけだろうという彼と話してみえたことは、とても合点のいくものになったと思う。

 

たんたんと、ありのままを受け入れて静かに咀嚼するケンさんの人柄は、話をしていると私も落ち着いて考えが整理できるな、と思った。そして、自分が旅女であるということが、日本の文化において、結構異色なものなのだと気がつかされる。今日まで、ケンさんが来てくれること、もうすぐゴールなことを楽しみに歩いてきたけれど、彼は自分も楽しめたというけれど、私の歩いていることが楽しくなることも考えてくれたり、友達と会うためにこうやってフットワーク軽く片道4時間近くをかけて会いにきてくれる、そういう人を大切にしたいし、私も同じようなことができる人間になりたいと思った。

 

旅をすると、価値観が一緒でも知らないことをおしえてくれる人に出会えるそんなことをケンさんが言っていた。

 

東海道を歩かなければ、神奈川から富士山が見えること、静岡が大陸と呼ばれるくらい横に長くて、日本の東と西の分け方がどうなっているのかわかな来ままだった。

 

東海道の見分け方が松並木や、瓦屋根の住宅街のほうであること。コンビニは国道沿いで、東海道沿いにはどのまちも住宅街ゆえにコミュニティバスが走っていること。神社と寺がどれくらいおおくあり、それが一緒になっているような場所もあること。宿場は間口が狭くて建物が奥に長いこと。今も土地の区画にその名残が見える場所があること。明治の時代は土地の広さではなく、間口の広さで税金が決まったこと。本陣、脇本陣、昔の旅籠の多さ。一里塚の存在や、高札場がどれだけ続いた情報発信の掲示板だったか。

 

宿場の端には、農家が多く、中心部に行くほど商人の町だったこと。今も「伝馬」のような地名に昔の名残があること。愛知や三重県の短さや、各地方の観光のあり方は、レンタカーの旅では飛ばしてしまっていて、みれなかったり、消化できなかったこと。市町村合併前の小さな村や町は、文化を大切に残してくれていること。東海道はまだ、観光資源としてひとつながりの開発が不十分なこと。いろいろなことが分かった。コンビニは現代の茶屋である。東海道沿いにはほとんど飲食店がないとか、今の宿場沿いには宿泊施設が路の上にはないこと。いろいろ分かった。

 

出会いはすくなかったけれど、「今に集中して気付きや学びを培っていく」という意味でやはり歩き旅の形は素敵だと思う。

 

外国人向けに考えるなら、全行程に置いて、色つきの路が必要だとか、風景印の普及は面白そうだとか、中山道には浮世絵がないから、東海道はその分インバウンド的なキャッチーさは十分だし、JRと組み合わせての部分の紹介も面白いだろうと思った。

 

また、自転車の方が人口が多いから、観光コンテンツとしては、展開しやすいというのも一つだし、県をまたいだ国としての観光コンテンツの作成が必要だ。