destiny is matter of choice

日々のこと、旅のこと。徒然なるままに。

今の社会には、ネット上にメンターが溢れている

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例えば、面と向かって1対1で会話をすることはどうしても発言力の強い人間にウェイトが寄ってしまう。

 

また、言葉をはした瞬間に弁論になることで、話が発展しなかったり、読み込みしいては理解が不十分に得られないことがある。というのは、人の言葉をさえぎりがちで、リスニング・傾聴が苦手な自分の傾向にあると思う。

 

例えばインターネットが日常に普及する前の私たちの幼少期の生活においては、

学校の図書室で偉人伝・伝記を読むことは先人の知恵にふれることができる貴重な体験だった。

 

それが大人になって自己啓発本に変わり、セミナーにかわり様々な手段こそあれど、今ほど現代をリードする偉人たちがこぞって「発信力・発信力」と有益な情報を自ら発することによって自身の信用度、しいては価値を高めようと躍起になっている時代も面白いと思う。

 

決して斜に構えているのではなく、誰もが情報を受け取る側ではなく、発信する側であることに優位性を感じるために、ありがたーいことにそこらじゅうに一つ一つ消化して噛み砕けばいい材料がごろっごろ転がっているのだ。

 

今日は会社の税理士の先生のお話を聞くチャンスがあったのだが、個人力についてその先生は話をされていて、「好き」を極めればそこから仕事をつくりだすことができる といった類のいかにも現代のネット上にあふれる話をされていた。

 

それに対して、私の所属している側は、「これから大規模になっていこうと思うんです」と時代に逆行しようとしているのだな~と思った。もちろん、組織に属しながら個人の力で生きていくほうが(そういう意識を持った人間のあつまりのほうが)楽しいと思うので、全てを否定するわけではないのだけれど、きっとそれにたいして、「あ、この話よくきくな」と思えたのはきっと日頃、その税理士さんとアンテナを張っている方向が一致したというか、時代の多数派意見に触れている、ということなのだろうな、と思った。

 

もちろん、社内外友人関係をとおして、メンターと呼べる人が身近にいることはありがたいことだし、それはよりよい成長の材料だとは思う。

 

けれど、自分が求めればさらに日常で出会える以上のレベルのメンターの考えに簡単に触れることが今の時代の得であって、それは読書と同じくらい継続する必要のあることなんだな、と思った。