destiny is matter of choice

日々のこと、旅のこと。徒然なるままに。

宗教とコミュニティ

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インドに旅行した際の雑記を少しずつ書いていく。

 

インド北東に位置する、ダージリンだがじつはまだここはウエスベンガルだったりする。さらに北部に位置するシッキム州のガントクまでに行くには入境許可が必要なのだが、ダージリンコルカタ・デリーなどインド人の国内旅行先としてポピュラーでアクセスもしやすいエリアだった。

 

旅をすると山が見たくなる。そして、日本で言えば軽井沢、ベトナムでいえばダラットなど、「宗主国が開発した高原避暑地」というのがどうも好きらしい。とくに、発展途上国に旅行に行くと嫌で雑踏にまみれる日々を送ることになるわけで、「東京は人が多くて、人間の住むところじゃない」と思っている道産子からするとやはりそんな土地が選びたくなる。 しかも旅をすれば、自転車やら歩きやら「旅行なんだから南国ビーチにいってのんびりすればいいのに」と言われたこともあるくらい「苦行しに行っている」ような旅を好むし、なんだか地方の北側に縁があるというのは私の思い込みなのだが、そんな理由で今回は旅の終着をダージリンに選んでいた。

 

現地に行ってから知ったのだが、チベット寺院があったり、難民ヘルプセンターがあるというチベット文化にふれられそうという前情報だけでいったもので、現地で話されている言葉がネパリ、ネパール語だったことに少しびっくりしてしまった。そもそもコルカタベンガル圏でヒンディー語の指さし会話手帳がまったく役にたたなかったのだが、ここにきてもまたしてもと思ったのである。

 

結果として、ネパリに囲まれたことは面白い体験だった。シッキムまで行った人からすると「ガントクはもっとゆったりと素朴な感じのまちだった」とのことだったが、コルカタ・バラナシを歩いてきた自分からすれば、そもそも外国人だからという理由だけで見つめられないインドであることだけで、とてもホッとできる環境だったのだ。そして、人が底抜けにあったかかった。これは田舎の個性なのか、ネパリの個性なのかわからないが、適度な距離感で暖かく優しい。控えめでそれでいて、フレンドリー。そんな印象をうけた。

 

実は私の働く会社にはネパール出身のネパール人がいるのだが、彼がものすごくまめで、綺麗好きできちっとした日本人みたいな人だな~とそんな印象を持っていた。そしてダージリンであったネパリもまたそんな人たちが多かった。インドに行くと道を尋ねるとあっちこっち知らない人に誤りを教えられて苦労するそんなエピソードが定番だが、ダージリンは町の乗り継ぎのために乗り合いジープを探せば、わざわざついてきて案内してくれた挙句に交通費を出してくれたり、道を尋ねれば正しい方向を教えてもらえたし、お茶畑の広がる起伏の激しい土地なので2時間かけて歩きくだった道を、上りの帰り道でヒッチハイクしてみれば1台目でインド人旅行者がチャーターしたタクシーが相乗りさせてくれるなんてあたたかい町だった。こんなにも自然と人に親切にできる人たちというのは、日々の生活が満ち足りてそしてそれを実感できていることの証だなと思った。

 

ダージリンに行くには、最寄りのシリグリという町から3時間ほどかけて山道を乗り合いジープで進むのだが、その乗り合いジープでこのエリアの話を聞いた。

 

ジープやトゥクトゥクはドライバーたちの個性がでていて面白いのだが、行きのジープは険しい山道を行くからなのか、荒い運転でぶっ飛ばしまくるわりには、安全お守りでしっかりとデコレーションされている車だった。それも、ヒンドゥーの神様のステッカーの下に、ブッダのステッカーを貼っている。かくいう、私の実家も神棚と仏壇が共存しており、1Fに神棚があり2Fに寝室のある父は心神深く1Fの天井に「雲」と書かれた紙を張っている。そして、火の元のキッチンにはお寺さんからもらったお札をはっている。私たちからするこの日常的な信仰もじつはけっこうにごちゃ混ぜだと思う。

 

思えば、バラナシにいったときも南部のバンガロールから旅行に来ていたハラーシュというインド人と町を散策していたのだが、そのときに「インド人はガンジス河というよりも、このシヴァの総本山にお参りすることを大切に思っている」といっていて、日中にはなんと67時間の行列ができていた。コルカタで滞在したホームステイは少し南の住宅街にあったのだが、「カーリー寺院に行きたい」というとそれなら近くにあるからといってガイドブックに載っていないマイナーなカーリー寺院を紹介してくれた。しかしこちらも2時間待ちの大行列で日本でも神社仏閣巡りは観光の対象だが、インド国内の人にとってはさらにそれより精神的な意味合いをしっかり持っていることを感じたのだった。

 

だからこそ、インドに住むムスリム教とがシヴァの総本山にお参りをしよう!と躍起にならないのと同じように、宗教こそ!一つのコミュニティ単位で、ヒンドゥー教=インドのようなイメージをこのダージリンの町はいい意味で崩してくれた町だった。

 

魔除けの意味を持つ女性が目の周りを黒くするアレも、チベット系の女性でもしていたり(しかもここではなぜか下まぶただけ)、チベット仏教系なのかな?と人種系には見えそうな人がヒンドゥー教を信仰している。ジープのドライバーのように融合型で、また帰りのジープで乗り合わせた青年は「僕はヒンドゥーだけど、友人の結婚招待状をシリグリまでとどけるんだ。あ、これ、ほら、仏教の」と彼がみせてくれたその友人の結婚式の招待状は封筒には仏教系のイラストがかかれていたのに、封筒の中はヒンドゥーのイラストがさされていて、宗教=コミュニティの概念を良い意味でくずしてくれるものだった。

 

というのも、このエリアの歴史がそういった宗教を超えたコミュニティをつくりだしたようで、ネパリだが、ネパール側に属しているわけではなく、政治的にもシッキムやアッサムは独立を欲していたり、また日本では幸福の国として知られる東に位置するブータンも国内にいたネパリを仏教に改宗しないと暴力的に排出した過去があり、結果その人たちはこのエリアにやってきたというそんな背景を持っているエリアだったのだ。

 

だから、ダージリンは「イギリス人が植民地時代に築いたお茶製造や観光業の上に成り立ち、(これも未だにお茶農園は外国資本だけど、働く地元民は地元の管理者以外はその大元の経営者なんてあったことないよねという環境で働き、)宗教に関わらず我々は一つのネパリのコミュニティなのである。」という人たちの町だったのだ。これは、ヒンドゥー、仏教に関わらずこのエリアのムスリムもまたこのコミュニティのムスリムを名乗るのだ。日本でこれにあたるようなエリアがあるだろうか?関西じゃなくて、京都です!みたいな「ひとくくりで一緒にしないで」といったかんじだろうか。

 

私は、仏教と神道がしっかりとごちゃ混ぜになったいかにも日本な環境で育ったが、ちょっと変わった高校に通っていたこともあり、また札幌でも外国人と仕事で知り合う関係で教会にお呼ばれしたり、わりと宗教を大切に生活している人たちに接して暮らしてきた方だと思う。

 

日本という国にいると新興宗教系の人たちは職場や学校などではその思想を隠しがちだし、また宗教=コミュニティみたいになっていてその中の結束は高いのだが、逆にそれがかえって見えない壁が作られていて、同じ思想にならないとその外の人間とは深~い友達になりにくいよな~というのが、個人的な感想だった。もちろん、宗教を持っているご夫婦でも奥さんだけみたいなケースもあるし、「親がね」という友人もいたし、昔仏壇に向かって経を唱える父を「心神深いなぁ」と思っていた私自身も墓参りにいかない。それでも、逆もしかりだなと思うが、自分がマイノリティとしてその場にいるときの疎外感は拭えなかったのだ。

 

宗教とコミュニティは密接にあるものという概念があったからこそ、宗教をこえてコミュニティを大切にするダージリンのネパリコミニュティは私の目にとても新鮮に映った。旅に行くと日本のどこから来たのか、という会話をするが 私の場合は「札幌です。ビールの名前なんだ。」という。北海道です。とはいわない。地元愛とも言えるし、分かりやすい単位として用いていることもあると思う。あと、東京大阪だけじゃなく、なんとなく札幌は旅人が多い気がしているし、せっかく日本食レストランが世界に溢れてSAPPORO=日本のもの、という宣伝がワールドワイドになりつつあるいま、地道に札幌よ、さらに世界で都市としても有名になれ。と思っている。だから、ダージリンの人たちはインド人であることよりも、ダージリンの町に住んでいるネパリであることを大切にしているのだというそれがとても共感できたのだ。

 

昔、LAアメリカに住むドイツ系アメリカ人*イスラエル人という三重国籍の友人にであったのだが、彼もまた自分の「イスラエル人」であることを大切にしていた。

 

私のあっさ〜い知識でも、キリスト教ユダヤ今日から派生したもので、イスラム教はその仲間で、仏教はヒンドゥー教から派生して、ブッダヒンドゥーの神様の一つとして捉えられたりもする。という認識がある。

 

思想が違うからなんだっていうんだ。つまるところ、けっこう世界の宗教って信じ方や内容、そのしきたりや禁忌こそ違えど、一番コアな教え的なものって同じようなことを言っていて、根元が繋がっていたりする。

 

だから、誰が何かを信じてるというのはそれは親がそうだったから、育った環境がそうだったから自然とそうであるというのがほとんどだし、隣人が一人の神様を信じてるんだか、トイレの神様を信じてるんだか、神格化された教祖様なのか、人に迷惑さえかけなければそれは個々人の胸の中のことでいいのだと思う。

 

そして、会社とか町内とか一緒に暮しているコミュニティ単位でお互いを敬えばそれでいいっていうことなんじゃないだろうか。

 

ちなみに、安倍総理がインドを訪問した際に訪れたというバラナシでは彼はバラナシを京都にたとえて宗教とともに歴史を育んできた古都としてつながりを位置付けたというが、バラナシの人もまた詐欺や悪いことをしたら「バッド カルマ」だから、この町の人はそういうことをしない。といっていたけど、そもそもカルマって仏教用語じゃなかったっけ?と思ったし、ヒンドゥー教のインド人もちかくにあるサルナートに遊びに行こうぜ~って仏教聖地に観光にいっていたし、私がおでこに祝福をうけたそれを見たインド人たちはとても嬉しそうにしていたし、融合が始まる中で「隣のブロックはムスリム系のエリアなんだ」なんてアザーンがやたら鳴り響くエリアでそれは昔からの住んできた人たちのコミュニティの名残なんだな、と思った。

 

私たちの世代はそうやって宗教を超えてそれらが生活の中で融合していくのをゆるーく過ごす世代であることは日本だけでなく、今を生きる私たちの共通点なのだと思った。

 

バラナシでも、地方のインド人がバラナシに観光できて、東アジア人にあえることが珍しいらしく旅行者にやたらセルフィーをねだられたり、「ハロー」と子供連れ家族や20代の男の子旅行者グループに有名人待遇を受けたことを除けば、有名な荼毘にふされるガートを歩いても「勝手にガイド人」にもしつこくされなかったし、要注意人物とされる詐欺師にもお目にかかることがなかった。私が歩いてきたインドはきっと発展をした結果そういったものが徐々になくなりつつあるインドの過渡期でそれが今という時代のインドだったんだと思う。

 

バラナシでも大型のクルーズを政府が誘致しようと多額の税金がすでにつぎこまれているようで、私の滞在中は手漕ぎボート夫たちがストライキを起こしていた。しかし、それは彼らだけのものでなくこのエリアで観光業を営む人たちみんなのストライキになっていて、サポートする人をいれると2万人近い人が関わっているということだった。

 

やはりそれも、宗教を超えたコミュニティ優先の考え方がそこにはあったのだと思う。そして、そのストライキも「ガンジス河をボートで悠々渡りたい」という目的が達せられない旅行者がその地に来ないことを恐れて、彼らは静かに抗議をしていたのだった。

 

もちろん、今回の旅で「ほっといてくれよ」というくらい人と人の距離感が近すぎない?というインドらしさはまさに!とおもったし、バラナシについて牛とうんこの路地をあるいたときは、これですよ、これ!とおもったし、日本でも日光東照宮とか、京都の清水寺とか、歴史は浅いが北海道神宮とか、宗教のあったところに、門前町はできてそして文化が作られてきた。だから、宗教が作ってきた背景や、今が成り立つまでの歴史背景を追うことは旅の醍醐味だが、また今、宗教にとらわれないコミュニティのあり方を感じられてつくづくよかったとも思うのだ。