destiny is matter of choice

日々のこと、旅のこと。徒然なるままに。

【旅日記】2018/12/30-2019/1/1 インドにて

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旅をするときだけ、日記をつけている。

 

読み返すことはあまりなくて、アウトプットしながら、頭が整理されることの方が目的だ。だけれど、数年経って読み返したりするときに、日記って本当に面白いなぁと思う。

さして、人様にさらすようなものではないのだけれど、Macの容量がただただやばくて、メモを整理したい、という理由だけで、少しずつ小分けにしていく。

 

時系列の可笑しな旅日記。

 

ーーーーーーー2018/12/30の日記より全文まま(日付区切りなし)

 

 

12/30

ばらなしいきのしんだいれっしゃのなかでしゅっぱつをまっている。おなじこんぱーとめんとのかぞくはえいごもはなすし、みんなでもりあがってくれているからひとひとひとのこるかたで きゅうそくのじかんだ。結果からして、本を読む時間もあるし(家族によれば、最速で11-12時間らしい。)2ACクラスは英語を話す人がいたり、スペースがひろいし、電源もあって正解だった。

 

列車は始発駅なこともあり、意外にも時間通りに出発した。

 

コルカタの日々は色々あった。結論からいうと、私はコルカタが好きだ。こんな書き方をするのはバラナシが未知数だからだろう。

 

空港について、出口を出たらなんと中に戻れなかったのは驚きだった。空港wifiもないし、両替が外側からもアクセスできたのは救いだった。5000円を2600ルピーに両替した。レートが悪いので少額だ。空港ではのんびりした。中国からしたチャールズが両替のレートに文句たらたらだった。私はさらっと数件比較して粘るのはやめた。こるかたはベンガル人がメインなのだが、指差し帳をもってきたので、外にかける両親くらいのご夫婦にはなしかけてみた。300rプリペイドタクシーを地元の人もつかうようだ。チャールズはグラブを使うという。ご夫婦と話していたら目の前に日本人がいた。松本くんと言って、wifiを持ってきた彼はサンタナにウーバーでいくという。私は朝まで空港泊のつもりだったが中に入れないし、12月だというのになぜか速攻で蚊に刺されるし、安い足もほしくて、松本くんについていくことにした。日本人宿はこの旅でいくつもりはなかったのだが、情報源としてはありだった。シムを買える場所、サダルストリートの詐欺師サダム、いいレートの両替などはいい情報だった。ただ、ハウラーにはバスで行けば9rなのに、ウーバーをすすめていたのにはびっくりした。ウーバーはプリペイドタクシーよりたかかったのだ。朝ごはん付きで、400だしおしかけでもとまれたからいいけど。

 

翌朝はまず、アゴダで予約したジョージアインを、目指した。デリーのシゲタトラベルで買ったチケットが届いていないと3日近く前からはらはらしていたのだ。結果、宿に行くとしっかり届いていて安心した。最悪のケースをかんがえて、送られた写真をサンタナでプリントして車掌とがんばるつもりだったのだ。この一件については、日本語で、トラッキングもつけて、写真をとっておいてくれて、ホテルに届かないと騒ぐ私にかわり何度もホテルにも電話してくれ、しっかり対応してくれたシゲタトラベルのラジェンダさんは評判どおりのいい会社だった。ジョージアンインはというと、電話を何度もたらい回しにされて、結局届いているのにないの一点張りだし、これがインドか、なんて早速インドの洗礼を受けたように感じていたが、実際行ってみるとスタッフは親切だし、綺麗だし、いい宿だった。

 

コルカタを話すならば、ワシムの話は避けて通れない。サンタナからジョージアインの道のりにあったマザーハウスにとびこみ見学をして、シムカードと両替のためにサダルストリートを目指した。シムカードを買いに行くにも、人気の店らしくまちになる。冗談でチャイをねだったら、ご馳走してくれた。誠実な店だった。前日に空港でタクシーの運転手から巻き上げたビリというインド式たばこを隣のスタンドで買いに行ったのが出会いだった。ライターが20rと言われて、物価が、わからずにとなりでたばこを買いに来たワシムに、私が会話を振ったのだ。

それから、彼は私がシム待ちの間会話のためにそこに残ったのだ。そのあと8時間を一緒に過ごして思った彼の印象はイケメンの優しいチャラ男だろうか。ユーモアがあって、人懐こく、女心をくすぐる術を分かっている。それなりに裕福で、賢く、ナルシストで、エスコート上手。両替に行く私にいいレートのために、離れたステイトバンクまでいってくれたり、サンタナに戻るときには乗合トゥクトゥクをとめてくれたり、サダムから守ってくれた。父がジュエラーでその仕事を手伝って夜しか火を起こさないから、昼は働かないとおかしなことをいう。子供好きで、顔見知りのストリートチルドレンにお金をあげていた。

わたしにもチャイをご馳走してくれたりしていた。

びっくりしたのは荷物をサンタナからジョージアインに移す途中で、マザーハウスのところでばったりあったことだ。その前に、日本人の一年くらいの男の子の手を引くインド人にあってびっくりしていた。失礼にも、迷子?と聞いてしまうとお父さんだという。ヒンドゥを好んで話す親子は土曜日にニューマーケットに遊びに行くという。そして、ワシムと再会した。しかも彼は、その親子とも知り合いだったのだ。たくさんの旅や自分の写真を見せて、9年前にあった日本人が写真を、たよりに会いに来た話、日本人の奥さんがいる友人の話。その親子のこともすでに聞いていた。ニューマーケットとの分岐で親子とわかれ、サダルストリート出会った欧米人のマイケルとマザーハウスにいったあとのワシムは私とジョージアンインまで来たのだった。ランチ食べた?といわれ、ビリヤニにいき、二人とも食べきれずに貧しい人にパックして渡したいという。さすがに、色々してもらったのでここは私がごちした。といっても二人で340r。レストランだし、適正価格だろう。そして、公園まで歩き、あったのがぷーんだ。また日本語を話すワシムの友達の彼も日本人と結婚しているという。仲間が増えて、ワシムのリードでビクトリアメモリアルにいく。途中またチャイをごちになり、残りのビリヤニをゴミ拾いのおじいさんに渡す。インド人は20rなのに、外国人は500rだというビクトリアは私が入りたいというのにためらっていると、ワシムがチケットを買ってくれた。そのあと向かいのセントポールにいくと、なんと花かんむりをさりげなく買ってきてつけてくれる。明日のフラワーマーケットにインドの洋服を着ていこうという。ぷーんは道端ながらも友人の店を進めたが私は結局値段の出ていた露店で上下300rで二着かった。ぷーんとはそこまでで、彼は明らかに私が勝手に店を選んで萎えたようだった。パークストリートに住むというワシムは翌日友人のバイクを借りてくれるという。また明日会おうと約束して、私が宿で彼のことをググったのが始まりだった。日本語を話ガイドじゃないといいながら、でもしっかりマークして来る人を私は知っていたから。タイのプオーンだ。2015年にワシムが日本人を監禁レイプしたという記事を見つけてしまったのだ。キレやすく旅行者の日本女子を引っ掛けてはものにしていらしい。男性が書いたブログには、中には友人として付き合っている人もいるらしい。どうやら、詐欺師というよりは、人間らしい奴らしい。しかし、私は怖くなり、彼にことを正直に伝えて翌日来ないように伝えた。ハビエルは念のために宿を、映るようアドバイスをくれ、私はそれに従った。シャわー上がりに髪だけ乾かし、うーばーをフロントにお願いしてブッキングで三キロ南のホームステイという安心できそうな高評価の宿を選ぶ。

日本語を話せるのに警戒させないように英語ではなし、宿についてきて場所を把握して、いきたいところにリードする。家族の写真をみせたり、ヘナができるよ、結婚式に参加したいか、ガヤのいとこの家にホームステイできる。支払いをリードして、友達の店を進める。すべて私がタイで経験したとおりだった。少し15年前と違うのは

スマホで写真を交換したり、ワッツアップがあることで、連絡が取りやすくなったこと。彼は私に何度もメールと電話をしてきた。何か悪いことした?それは過去のこと。

私は何を信じていいかわからなくなった。旅する上では、安全一番だし、でも目の前でみた人の人柄と、過去の記事や噂、どちらを人は選ぶのか、その狭間で彼のことを考えまくったコルカタ滞在だった。私個人の体験は、よかった。でも、疑いを持った心は変えられないし、信じ切らなかった自分に罪悪感すら残る。彼も旅行者で旅先であったら、きっと違う結末だったろうにと思う。高畑裕太にあった話を繰り返し、彼のレイプ事件は事実じゃなかったと話したワシムの話は彼自身の話にも重なり、考える。

ムスリムの国でも、インドネシアでもマレーシアでも一般人がガイドじみたことをしたことはなかった。でも、親しみやすさやその人が本当に働かなくていいくらい裕福だったら彼のようになるのではないかとも思うのだ。

答えは自分の体験にしか、ない。

いい時間を過ごしたし、私はタイのプオーンのことを今も顔もエピソードも鮮明に覚えていて、ワシムもそうなるのかなと思った。

インドらしい体験だとも思うし、私らしい体験だとも思う。

そのあと翌日、ハウラー駅で私をじっとみてプラットフォームまでエスコートしてくれた自称学生の新設を疑って

、 詐欺?ときいたら身分証をみせて、去っていった。彼がそうだったのかはわからない。でも、何かする前に私が疑ってかかった自分自身とダイレクトにきいた自分が嫌だった。

素直に次の目的地やらを聞かれたらいってしまう。でも、疑ってかかっていたら、心がギスギスするし、信じて馬鹿みたいに素直でも危ない。

いきたい場所だけリストアップして、時間もアクセスも一日単位では詰めすぎないスタイルが好きだ。だからこそ、人と会ったときにフレキシブルにいられる。

その夜、宿替えで行ったコルカタバックパッカースは息子がしっかり電話とメッセージで見守ってくれ、両親がしっかりお迎えをしてくれた。翌日あった人もそうだし、私はいい人と悪い人の見分けがつく、と思っているのだ。、そして、私自身の噂抜きの答えだったら、私はワシムの人柄が素敵でいい奴だな、と思った。一重に彼がgiverだったこともあるだろうし、自分も楽しい時間を過ごそうとしている人だと思ったのだ。結局のところ、人は信じたい答えを信じる。そして私の答えはワシムは深入りしなければ、楽しい友人になり得るチャラくてかわいいムスリムだ。それでいいんじゃないだろうか。

 

一つ言えるのは、本名ラージ、ぷーんについては本物の詐欺師らしいということはわかった。ということは、その友人は?というところだけど、ハビエルのいうように、次に頭をむけようっと。

 

12/31列車は時間通りにすすんでいる。ここでシゲタトラベルの話をひとつ。当初ガヤも目的地に入れていたのだが、列車の予約段階でせわしなくなることがわかったので、コルカタからはまっすぐ向かうことにした。しかし、チケットを受け取ると、チケットはコルカタからガヤまでのものになっていた。ラジェンダさんも気がついておらず、通しで買えなかったために12時間後のガヤバラナシチケットをスタッフが独断で購入し、郵便にはいれなかったという。明らかなミスだったのだが、車掌と交渉するから電話をしてくれとのことだった。電話で誰とも会話するなといわれたのにはびっくりしたけど、それがまかり通るはずはない。私の席は下のベッドだったのだが、恒例の母と旅行する息子が上段は母には危険だからかわってくれという。車掌にも事情をはなし、親子も味方になってくれ、結局ガヤは6:30まで熟睡した結果通過していた。そのあと、また席に予約をしていた人がいるのだが、私と席を変わったお母さんは優しく私はそのまま上段にいさせてくれた。二十代であろう息子の英語はカタコトだ。なのに、彼の優しさは言葉の壁を超えて伝わってくる。ラジェンダさんもいった、インド人は優しいから大丈夫は、本当だ。ワシムも友達は罪を犯したし、彼も若い時は過ちも犯した。でも、列車に乗ってからメールした私に返信したその人柄はやはり優しかった。

 

街中の喧騒を歩くより、こんなことに旅を感じる。しばらく異国から離れていて昔ほど警戒心をもっていない自分にも気づくし、無理にコミュニケーションを取ろうと気苦労することもない、躍起になって観光するのではなく、ぷらぷらと新しい発見と偶然の出会いが起きるまで自然体でいる。今回の旅には本を10冊近く持ってきたのだが、それもまた旅の間だから出歩く、と気張らずに好きなことをやればいいだけだ。

 

インドの人はまだガラケーが半分近くあり、スマホの人もメッセージではなく通話がメインのコミュニケーション手段だ。だから、地下鉄に乗っても目の前の人と話をするし、どこか一人行動じゃなく、家族行動がおおいようにも思えた。自然と感じる人の素朴さ。市場に行っても、クマトゥリの裏路地を歩いても、一言二言簡単に会話する。当たり前のことなのだが、あまりにも日本の私の生活がそれと離れていて、初めはビクビクしていた。

日本だって、心のあり方を保ってそんな場所ってあるよな、と思った時に札幌、そして同僚たちはそう行った大切なものを大切にしている人たちだなと思った。

 

ここで、以前経験済みだったけど、寝台列車で旅をしたいというウィッシュリストをひとつチェックする。

 

インドは広い。スペインも二ヶ月かけて、北側だけになったけど、一つの国に何度か来るのも悪くない気がしてきている。そうしたら、本当にリピートの友達にもなるんだろうし、友達を作るのって、本当はとてもシンプルなことだと思い出す。ただ一緒に歩いたり、話したりするのだ。そこに行くまでにのみとかイベントがないといけない気がする日本の生活ではそりゃぁ友達できないよなぁなんて思ってしまった。

 

2019年になった。朝まずゲストハウスを出て、南のASSYガートを目指す。