destiny is matter of choice

日々のこと、旅のこと。徒然なるままに。

旅日記:2018/12/27 インドへ

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旅をするときだけ、日記をつけている。

 

読み返すことはあまりなくて、アウトプットしながら、頭が整理されることの方が目的だ。だけれど、数年経って読み返したりするときに、日記って本当に面白いなぁと思う。

さして、人様にさらすようなものではないのだけれど、Macの容量がただただやばくて、メモを整理したい、という理由だけで、少しずつ小分けにしていく。

 

時系列の可笑しな旅日記。

 

ーーーーーーー2018/12/27の日記より全文

 

選択する言葉の違いこそあれど、シーナの本を読みながら米津玄師の歌詞を読んでいるみたいだと思っていた。

 

20181227日。クリスマス休暇明けなのか、千歳空港の国際線出国ゲートにはいつもの7-8倍近い300人程度の長蛇の列ができていた。千歳空港は、国際線ターミナル2018年現在増築しており、今は就航ではない路線が繋がりまたいける国の幅がひろがることをたのしみにしているのだが、すでにその必要性を感じるごった返しだった。

年末年始だからではなく、ダラダラと仕事の都合にあわせてようやく休みをとる宣言を、したのが三カ月前だった。目的地はきまっておらず、当初の予定より日程が短くなり、ようやく出発二ヶ月前にチケットをさがしたときになんとか年末年始だが少しずらして安いフライトを見つけるようにして、浮かび上がった目的地がインドだった。

 

旅人ならば、行ったことがなければもぐりのインド。ガンジス川に牛にカレー。人がいい加減で旅の難易度が高いイメージであまり気がすすむ国ではなかった。しかし、長期といっても休暇の限界が2-3週になった今、上海にとんでもうまい飯は食べれても、私が海外に出る理由、異文化にがつんとやられる感覚を体が欲していた。画して、私のインド旅が決まった。

 

チャーシュー、すあまー。中国東方航空はやたらお茶をふるまう。チャーシュー、すあまー。と言いながら、暖かいお茶を配るのだ。安全レクチャーがなかったのがおどろきだが、サービスは日本人のように、優しくサービスフルだった。

 

目的は後からつければいい。昔つけたやりたいことリストにあったこと、インドの観光情報をしらべ、限られた日数で組める旅程を組み上げながら、旅の目的をあとづけしていった。

 

インドに関する紀行文を一つ目の機内で読み終え、旅する本のサインをした。旅する本に海外の地名を書いたのはいつぶりだろうか。

 

三本を乗り継ぐフライトは、札幌から南京、昆明コルカタと行くのだが、札幌では南京までのチェックインしかできなかったので、昆明までは明朝のフライトだったのだが中国に一度入国する形となった。南京空港は地方空港にもかかわらず、出発ロビーが広く、大陸の大きさを感じさせるものだった。出発ロビーに行く前に、外に出て冷たい空気で深呼吸する。航空会社のひとでも英語を話さない。wifiにつないでみたもののlineiphoneのサファリもyahooだから繋がらない。あえてvpnに繋ぐほどせせこまくしたくもなく、メモ帳に文書をしたためる。もともと、歩いたり自転車だったり、沈没こそしないものの一国を一ヶ月かけるようなゆっくりした旅が好きだが、直行ならおそらく10時間ほどでつくインドに2泊しながら35時間かけていくことにしたのは、チケットの安さからだけではなかった。ぼーっとする時間も、読書に耽る時間も含めた旅の時間が愛おしい。トランスファーついでに、中国飯を期待したのもあった。

 

行きのフライトで声をかけはしなかったのだが、30Lの小ぶりなバックパックに梱包した自転車を持った五十代前半の日本人男性をチェックインラインで見かけた。埃が染み込んだスポーツサンダルにコンバーチブルパンツ、フリース。パニアバックすら持たないその人はきっと、日々忙しくだけれども若い頃から旅を続けてきた様子がうかがえた。彼のような大人になりたいと思った。旅で出会った人たちは圧倒的に若者が多い。ひとり旅というのは、大人になるほど、家族ができることで減ったり、体力ゆえかスタイルが変わったりすると思っていたのだ。

私もその過渡期にあるように、日常に満足することが増えるからではでないかと考えるようにもなった。

 

ちなみに遅延で悪名高い中国東方航空だが、今回ハイシーズンの出国手続きによる遅延で、30分、そのあと冬の北海道らしく滑走路の路面状況なのか 氷による遅延が1時間半と、進み具合で一時間と、結果三時間の遅延であった。以前冬の北海道の大雪で七時間着陸後の飛行機内で、過ごした乗客もいたし、今回はフライトの間に12時間くらいずつ空き時間があり、どうせホテルもとらずに空港で寝るだけの予定だったので、何も気にならなかった。

 

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中国の内装について考える

 

デザイン性の低さは、品質をゴールとして作り手の満足を追求する日本的な考え方ではなく、店舗を作った後の利益とバランスを重視する経済的で、合理性を優先させる考え方だと思う。だから内装も特にこだわりというよりは安価に早く作れるようになっているし、ファッション一つをとっても同じことが言える。

ブランドのコピーや、流行りの安価な真似ものを身につけた結果 私たちが中国らしいと思える身なりが出来上がるのだ。高価な本物でスタイリッシュになることよりも、安価なコピーでそれに近づいてよしとする。結果、チープになっていて、日本人には受け入れ難い部分が膨らんでいるのだ。