旅をするときだけ、日記をつけている。
読み返すことはあまりなくて、アウトプットしながら、頭が整理されることの方が目的だ。だけれど、数年経って読み返したりするときに、日記って本当に面白いなぁと思う。
さして、人様にさらすようなものではないのだけれど、Macの容量がただただやばくて、メモを整理したい、という理由だけで、少しずつ小分けにしていく。
3/8 -66 雲辺寺
民宿 岡田 6500円 食事付き
30km
ホテルにつき、朝は8時前のゆっくりにした。このところ、ご飯を作ってもらえる民宿の方がいいのかなと思う。スーパー経由したりしてると、距離も体力もじかんも1時間くらいロスになるのに、500円くらいしかちがわない。
雨で、遍路道に入るまでは、傘をさしながら歩いた。
大興寺前の分岐で遍路道でない近道を教えてもらう。街中だったので、助かった。
雲辺寺までは、今までで一番上りのながい4.5kmの山道を行く。雲辺寺は、霧に包まれ、自然の偉大さについて考えた。山頂について、ホットコーヒーでゆっくりする。そして、遍路の奥深さを感じる。納経所のお坊さんに歩き遍路の人に渡している、とおかきをいただいた。岡田までの近道を聞いて、2:30の下り道を短縮しようと、脇道を入った。結果、これはあぷりの遍路路でもなく、送電線の看板しかないみちだったのだけど、1時間近くは2m幅の道や植林のあとがあり、gpsもあり、下りを過信してすすんでしまった。
結局そのあと2時間半、私は遭難をした。雨で緩んだ倒木の間をすべり、沢を下れば、車道に出る、またgpsを頼りに、時に1m落差の沢を進んだ。全身びしょ濡れだし、菅笠を2回目に落としたら、滝壺に落ちてしまい、頭を守るものがなくなった。手袋をつけずに、肩掛け鞄もあぶなく、進んでいたら両手に六箇所切り傷ができていた。
岩さえもくずれるロッククライミングのくだりをゆく。白装束を着たまま死んだら、笑えなくて泥だらけのベストを脱いだ。何度生きて変える。落ち着け、落ち着けと言っただろう。人生で遭難もしたことなければ、ここまでしに直面したこともない。一度滑り落ちて、脇腹と右耳の後ろをぶつけてしまった。生きてる?焦って脈を取ったけど、緊張してるし、寒いし、わからない。宿に念のため電話をしようにも電波があまりなく、繋がらない。結局、車道が見えたのは17:30だった。川の水冷たくなってきていた。車の音が聞こえて、高速の下から車道に出た。宿に電話して、彼にもメール。宿まで1キロ。歩いてる間に耳の傷に気が付き、岡田さんが車で見つけてくれた。安堵で涙が出た。お爺さんに言われて、お尻が破けていたことに気が付く。宿ではお嫁さんが抱いてくれた。風呂に入り、ご飯をいただく。掌、足、腰、あざだらけ。消毒したけど、一部の傷は残るだろう。丈夫に産んでくれた両親に感謝。道に迷ったら、戻ること。過信しないこと。洗濯もしていただき、逆打ちの由来をきく。遍路は大変だ。よく深くいたら、命の危険にさらされる。まだまだ、未熟でよく深い私だから起きた事故だ。生きているから、笑って話せるけど、ほんとに危なかった。菅笠が、お大師様が、身代わりになってくれたのかもしれない。明日から、どう向き合ってゆこう。ボーッとするのが好きだとか、悩んだら歩き旅とか、そんなことでなくて、もっと深いところで、向き合わなきゃいけないことがあるよな。
生かされている。この命をどう、生きようか。
岡田さんによると、やはり30kmまでが連日の限界だという。私も、どうかんだ。