destiny is matter of choice

インテリアのこと、旅のこと、映画のこと、本のこと、ワークライフバランスのこと。

生きるとは自分がしたいことを思い切りすること

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自分らしさを追求すると、確実に生きやすくなってくる。

 

3年間、わがままを通して「仕事と旅の両立」という自分のやりたいことを基準に生活したら、ものすごく生きやすくなっていることに気がついた。

 

突然だが、私はすごくわがままだ。

 

仕事関係でも、(もちろん意見を話し合ったり、譲れることはゆずったりするけれど)「自分はこうする」という絶対コアなディレクションやイニシアチブは人に絶対にとらせないし、どうしても欲しいものは譲らない。

 

日々仕事の決断も自分のキャリアの方向性も全て決断をいい選択をし続けられるように、余裕を作るようにスケジュールするし、手放さなければその足かせになるであろうことはバッサリと切り捨てる。

 

つまるところ、自分がやりたいことをハッキリとわかって、いつだって選択を求められる時にはそれを基準に判断するというシンプルなことを続けているるだけだと思う。

 

もともと私は優先順位をつけるのがとても下手だった。

マルチタスクだって器用にこなせないタイプだと思う。

それでいて欲張りなので、とても「生きづらい」やつだったのである。

 

それも、10代でそういったことを悩んでいたのではなく、20代の後半になってもまだそんな悩みを抱えていた。

 

仕事と家事を天秤にかけたときは、家事を選んだときはフルタイムの仕事を手放さなければならなければならなかったし、

 

逆に仕事を選んだときはそれにストイックに集中しすぎて、家庭を顧みずに結果的には結婚生活を破綻させるきっかけを作っていたと思う。

 

だから、人を傷つけるくらいなら一つだけを選んで、それを選ぶために一人でいるというのが私の決断だった。

 

そして、自分が思い切りしたいことは 仕事とプライベートをどちらも欲張りなくらいに充実させることだった。

 

プライベートは何か?といえば、私にとっては「旅」だった。

 

「仕事と旅の両立」

 

こうして、私の人生のテーマがようやく一人になって、30を過ぎてから明確になった。

 

そう決めると起こることに対するアクションの決断がすべて、「生きやすいように」つまりは、

「旅と仕事の両立」という物差しにそってなされるようになる。

 

だから、一人でAirbnbを始めることは、フツウの会社員でいたらいつまでも思うように旅ができないという考えに基づく決断だったし、

 

今の会社から一緒にやろうよと言っていただいた時も この人たちと一緒にやったら私が旅をしていても仕事してくれている人がいるから実現できるな と打算的な理由があった。

 

 

そしてそれを継続できる環境にいつづけることが「旅と仕事の両立」には必須だったから、一番初めにそうできる条件を飲んでもらったし、仕事のパフォーマンスで返し続けてこれたのだと思う。

 

会社規模が大きくになるに従って分業化が進む中でも、その業務は旅にでられるか?ということが選択基準だった。クライアント対応とか、ゲストとのメッセージやりとりとか休みで分断しては難しいような業務は他の人に譲る、というよりはやらないことを選んできたのだ。

 

もちろん、いろいろある業務な中で自分が一番楽しめる仕事を選んだというのもあるけれどそもそも自分が一人でもやっていこうと思った仕事内容だから、仲間がいることで分業化されてもどの内容でも私はそれなりに楽しめていたのだと思う。

 

結果的にそんな生活を始めて3年が経ち、私は1年目は沖縄と台湾で10日間と30日間の休みを取ってどちらも自転車で旅行する。2年目は2ヶ月をまとめてスペインで巡礼の旅へ。3年目は、仕事が忙しかったこともあるが、細切れでも福岡、北根室(歩き)、上海、栃木(レンタカーで擬似世界一周)、インドと最長で3週間5回の旅に行っている。

 

これで、会社員である。

 

はっきり言って、その間給与が振り込まれるのか?とヒヤヒヤしたこともあるし、

戻ったら席がないのではないかという被害妄想は幾度となくしてきた。

 

でもそこには、一緒になる前の約束や絶対的な信頼もあるし(それはしっかり仕事してきたという自負もあるし)、正確には「会社役員」なのだけれどでもそれって法律上の違いだけだな、と思う。

 

3年前の自分が今の私のわがままを助けるくらいの自意識過剰の自己評価が異常に高い人間で本当に良かったと思う。

 

人間には、「これを達成する!」と思ったことを、「絶対に実現させる」そういう力があると信じている。

 

有言実行というよりは、もはや私の休みのとり方は犯行声明>計画実行といったほうが近いものがあるし、それを笑って送り出す会社経営者の器たるや計りしてれない。

 

尊敬してやまないが、正直大きな器にとっても大きな穴があいてくれているのではないかと思う。

 

だから、このブログタイトルも「Destiny is matter of Choise.」。運命は、やってくるものでも待つものでもなく、自分が決めて選択する、というよりは決断して実行するものだと思うのだ。だから、自分が決めたことだから、責任ももてるし、事実になるのだ。

 

そんな当たり前でシンプルなことしか信じていない。

 

例えば、人生で大きなドラマは何か?考えてみて欲しい。

 

この問いを自身に問いかけたのは忘れもしない18歳の私だった。

当時アメリカの高校に1年間の留学していたのだが、その当時は「中学校の時の担任の先生にであったこと」「留学したこと」だった。もう一つは「親友の二人にであったこと」

 

確かホストマザーとの会話の中で3つのイベントを振り返ってみようという人生観うんちゃら的な会話でありながら、実は私の部屋になっていた地下室で30代のシングルマザーだったホストマザーと「ちんちんの絵を書いて」遊んでいた時の会話だ。

 

脱線したが、さらに倍の年数近く生きた今、私は3つのイベントに「アメリカに留学したこと、離婚したこと、そして今の会社で働くことを決めたこと」この3つを選ぶ。

 

10代の私は自分の選択ではなく起きたことにながされていたこともあったけれど、人生の節目節目の転機を振り返ると結局は自分のした正しいと思える選択が人生を作っているのだ。

 

どうして、そんなに「仕事と旅の両立」にこだわるのかといえば、単純にどちらもそれらが人間の成長には欠かせないものだと実体験で感じるからだと思う。それが私にとっては、結婚だったり恋愛だったりではない。

 

だからといって、ノマドや旅人をしながらフリーランスで働くというよりも、自由度のある会社員として、の働き方を私が押すのも「仕事」らしさからなのかもしれない。

 

30代という中堅の立場で年下を育てられる楽しみやこの先まだ30年、40年続く会社を一緒に作り上げる夢見続けられる人たちがいるというのは幸せなことだと思う。大学とか、部活動とか、終わりのあるコミュニティもあるけれど、会社というコミュニティは出入りこそあれど、一緒にいようと思えばいつまでも努力を一緒に続けられてまた、そこに関わる人のバリエーションもあるし、組織の面白さを教えてくれる。

 

そして、一人でする仕事より集団でする仕事のほうが絶対的に規模が大きくできること、信用と社会にたいする影響力、手がけられる現場のサイズ感、すべてにおいて個人の非ではない、というところに面白さがあると思う。

 

ピラミッドは一人ではつくれない。

 

きっとそれは、世界観だって同じことなんだと思う。部屋のイメージをつくることも、文章を書いて一人の人間の頭の中にあるものをアウトプットして形にしたところで、それが誰かにインパクトをあたえなかったり、共感してもらえるものでなければ、それって何の価値があるのだろうと思う。

 

それは別に会社である必要はないのだろうけど、それが人つの集大成というか財産になっていくというか、コミュニティを作る面白さは会社風土を作る上で大いに体験できるものでもある。

 

個人の考え方はどんな考えであれ存在自体に価値があると思うけれど、それが誰かの心に響いてこそだし、それがマジョリティになることで結果社会や文化が出来上がってきたわけだし。

 

だから、部屋を作るときは私は個性を表現したいこともあるけれど、いかに万人受けするのかしか考えないし、ブログに書こうと思うことは、私が見聞きしたかった意見であったり、欲しかったけどえられなかった情報だったりする。

 

たとえば、

 

海外のある町へのアクセス方法だったり、札幌で生活する上での地域に特化した旅情報が欲しいな、と思うし、会社員として仕事と旅を両立するそのスタイルをする人が増えればもっといいな、と思うからそれを発信する。いろんな価値観があることが面白いから、旅人との会話からいろんな人生の話が聞きたいな、と思うし、インテリアのこだわりについて追求したいからそれを発信する。オススメの本の紹介を読むのが好きで、そうして読書を掘り下げるのが好きだから、自分も同じようにそれを綴る。

 

つまるところ、人生自分の好きをどれだけ突き詰められるかが幸せの種なのかな、と思う。

 

生きるとは自分がしたいことを思い切りすること

 

欲望に貪欲で、けれどそれにくっそ真面目に、くっそ正直に生きていると思う。

 

旅に行くのは、「足るを知る」ことをいつも心に置いておきたいから。

 

足るを知るとは、暖かいシャワーのあるありがたみ、人とのふれあいによる愛情だったり、仕事への感謝だったり、命をいただいて自分が生きていられることだったり、日常に感謝する心をもって質素に日常と向き合うことだ。

 

そして、いろんな価値観に触れ続けて、学び続けたいから。

そして、旅は非日常なんかじゃなくて、めちゃくちゃ日常だと思うから、だからお土産を買ったりもしなければ、旅先でも人に誘われても気分が乗らなければNOといって、ひとりで本を読むことを優先する。

 

じゃあ、自分がしたいことがなんなんだ、というところに行き着くまでには、実体験としてそれにあたる間でやり続けるしかないのかな、と思う。

 

長続きしないことは、結果続けたいと強く思わないというだけのことだし、

移り気なことは「いろいろやるのが好き」というのが答えなのだ。

 

私の場合は、仕事はめちゃくちゃ転職してきたし(思い返すだけでもアルバイト時代の単発を除いても20職あった)、34歳にして3年働いた会社が初めてですっていうのは、30過ぎで「お恥ずかしいかな、選挙行ったことないんですけど。」といったら50代のおじさんに「それは、本当に恥ずかしいですね」と返された以上に恥ずかしい大人だ。

 

そもそも、34歳が(恥ずかしい)こんな文章を書いていること自体が恥以外の何物でもない。

 

でも、旅をするときに思うのだが、ここで弾けすぎて引かれたところで、この人たちとはずっと繋がらなくてもいいんだよな。と思う。

 

コアがあるからある安心感と、コアがあるからできる冒険。

バランスがちょうどいいのだろう。

 

生きるとは自分がしたいことを思い切りすること

 

それを30過ぎてから気がつくことは遅いのか、それともまだ追求する時間がたっぷりとあると思えるのか。どうせなら後者でありたい。

 

仕事でのキャリアを積み上げて、思い切りのクリエイティブさをもって手の届く範囲の世界に影響を与えること。そして、異文化の中に溶け込んで学んで生活することを日常として学び続けること。ちょっとの勇気を持って人との距離を縮めたりすること。飽きをこさせないように、それを期間で区切ってメリハリをつけることでバランスをつけること。

 

もちろん、これは今したいことでありまた流れが変わればしたいことだって変わる。

 

それでも全力で生きることって楽しい。と思うのだ。