destiny is matter of choice

日々のこと、旅のこと。徒然なるままに。

【旅日記】四国遍路 2020/4/13 高野山へ

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旅をするときだけ、日記をつけている。

 

読み返すことはあまりなくて、アウトプットしながら、頭が整理されることの方が目的だ。だけれど、数年経って読み返したりするときに、日記って本当に面白いなぁと思う。

さして、人様にさらすようなものではないのだけれど、Macの容量がただただやばくて、メモを整理したい、という理由だけで、少しずつ小分けにしていく。

 

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4/13 Day35

1 結願

1km

板東駅 8:19

徳島駅    8:44

バス 四番?

ここで、昼、買っとく?

8:55

25分?

9:20

 

徳島港フェリー 11:00

和歌山港 13:05

和歌山港駅13:20

高野山15:51

高野山宿坊泊 

無量光院 26000

 

朝ごはんに洋食のお接待と布マスクをいただく。高原さんは、気仙沼の出身でplに進学してから、保育所経営や。猫のといれすなの経営をしていたそうだ。深い人生を送った年配女性は、話に深みがある。やりたいことをやってきた。お金を払ってでも、やりたいことをやる。情報を集めて、正しく選択判断して生きる。根本が古典的に正しい精神に基づいていれば、経営も人生もうまくいく。松下幸之助とか呼んだらと言われた。できることを時代に即した形で、やり淡々と勉強をかさね、役立てるところで社会奉仕するだけだ。お寺へ。空で、読経。本堂でも大師堂でも涙が流れた。納経所で、記念に外国語のガイドブック今年版を購入。満願記念の腕数珠をいただく。お金では、かえないもの。名前入りの記念。逆打ちのスタンプ。35日。四国風土をよく、見えた。仕事も、リモートになるために必要なことを足で稼いで、人と直接、繋がる。私は、それで、いい。本質を大切にしよう。徳島港までは、歩かないことにした。走るとフェリーを逃す可能性もあったので、限界を加味して、時に頼ることや、選択する子ど学んだ証と思いたい。

移動は結局、11:00フェリーから、高野山すきっぷを使ったけれど、10本の電車、バス、ケーブルカーを乗り継いで到着は17:30だった。未来のことをメモですすめつつ、移りゆく景色を見ながら、今を生きてはいなかった。すべて、五分間隔での接続だった。そして、高野山の鉄道は、極楽橋から三人のみ。ケーブルもバスもすべて南海フェリーからつながっているから、乗り逃さないように次の運転士さんに導かれる。登山鉄道のように、鬱蒼とした中を、時に一本しかないレールやトンネルのすれ違い待ちで、留まりながらすすむ。途中見える集落は四国でみたよりも、奥地で斜面に畑や家を作り、限界集落ばかりだった。各駅に駅員さんがいて、それでも無人でない。雨が一日降り続く。この鉄道と、バスは高野山の神聖な雰囲気をよく醸し出していた。パワースポットってこういうことなのかも。苔むした精気を纏った山。それでも、高野山につくと、街は大きそうだ。車も多く、一宗教の集落なのに、生花店、プロパンガス、菓子店、喫茶店、郵便局、観光土産店もあるけど、集落としてはすこぶる立派。院もたくさんあり、同じ宗派でこうも寺があって、檀家さんのかずがどうなんだろうとびっくりしてしまう。無量光院も安いのに、立派。旅館よりもいい。wifiもあるし、外国人対応もすすんでいるし、食事は板前さんもいて、浴衣に土産のフェイスタオル。温泉旅館のように、おやつと、部屋食。ま!コタツに、素晴らしい襖絵と調度の床の間。尼さんだけでなく、見習いのような高校生くらいの坊主がお世話してくれる。食事を持ってきたり、お風呂の上がり時間を見たり、お膳を下げるのを寒い廊下でまったり。こちらが勉強になる。奉仕とは、こういうことなの?そして、風呂で一緒になったおばさんたちは、食事の手伝いなどをしているようだが、尼さんではない。でも、安く住まわせてもらっている。どうやら、お寺にはこういう役割もあるのか、と思った。やっぱり、そういうのは宗教なんだなぁテレビがない、それは静寂や連れ沿いとの会話を楽しめる時間がある、ということ。思えば日本家屋は、戸の開け閉めの音がしたり、雨音が二枚の戸越しにも聞こえて来る。それを大きな茶葉でいれたお茶を飲みながらいただく時間はこの上なく、贅沢で豊かだ。漱石の時代には旅行をしたら、何時の汽車に乗って。。なんて、日記をつけていたのに、今の私たちはそんなことをしない。敢えてそういう時間を作る必要は、どうしてあるのか、ということを考える時、一人の時間が沢山あるのは、いいことだなと思った。だからこそ、限りある他者との関わりには特に丁寧に、心を込めて、接することができればな、と思った。