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日々のこと、旅のこと。徒然なるままに。

【旅日記】四国遍路 2020/4/14 高野山奥の院〜帰宅

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旅をするときだけ、日記をつけている。

 

読み返すことはあまりなくて、アウトプットしながら、頭が整理されることの方が目的だ。だけれど、数年経って読み返したりするときに、日記って本当に面白いなぁと思う。

さして、人様にさらすようなものではないのだけれど、Macの容量がただただやばくて、メモを整理したい、という理由だけで、少しずつ小分けにしていく。

 

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4/14

高野山奥の院、寺へ

満願。

移動は3時間

てんきがよければ、ロープウェイの下り歩きするか?

奈良大仏でもみに行くか?

関西空港でねる

 

礼を持って接するということ。祈りというのは、本来人のためにするものなのかもしれない。私の幸せが、私の大切な人の幸せ。

 

昨日、オープンということもありMさんは、一息つけたみたい。夜中に、電話。仕事のアプローチ方法をメモにとっていて、起きていた。とても、大切に思ってくれていて、それを行動にしてくれている。1ヶ月会わずにいて、近くにいたい気持ち、未来のこと、幸せにしたいと思ってくれていること、そんなことも電話ではなしができた。自分でするのにも、声が聞きたいって、私を、思ってそうしたいってなってくれていることがとても愛おしい。彼を思うときゅん、とする。もっと、愛したい。もっと、大切にしたい。

お寺で過ごす時間は、とても美しく、丁寧な暮らしや振る舞い、日本人やじょせとしてのたしなみを考える。

朝のお勤めは、そう、ガンジス川の畔でみた祈りの儀式のようだった。使っている仏具や、火の扱い、朝から正装のお坊さんたち。部分的な似ている部分と、偶像崇拝護摩師などどくとくなところはあるけれど、お経自体。祈りの歌であり、それを現代語でなく昔の言葉のままだから、仏教はイスラムコーランよろしく、よいのかもと思えた。キリスト教みたいに各国語訳がすすんでいたら、もっと布教できているのかもだけれど、そうでないからこそ形が保たれている部分があるように感じた。香の香りがこちらに向かって来る。お坊さんたちの歌を聴きながら、所作に目をやりながら、これを毎日毎朝している人たちがいることを忘れないようにしようと思った。ガンジス川でも今日も祈りがあり、マラッカでは今日もアザーンが聞こえて、通勤電車に乗る人がおり、仕事に打ち込む人がおり、走る人がおり、歩み続ける人がいる。色々な日常があって、いいんだと。多様性のある美しさ。各々が自分の選んだことを、継続するまっすぐさ。素直さ。

互いを認められれば、共存できるし、尊重しあえる。

こういう暮らしもある、ということは、やはりその中に入り、実体験しなければ、わからない。

そういう意味で、私は他者と共存すること、どう協調性がこのあとはかって行けるか、謙虚という言葉を唱えるだけでは足りないものを、想像できる種をいただけたな、と思った。

作っていただいた朝ごはんの繊細さ、それを自らの知識にいれ、お茶を注ぐその水の音に丁寧な所作をする繊細さの大切さを学び、時に静寂の中に聞こえる呼吸音、鳥の声、雨音、匂い、食感、触感、愛しい人の温もり、一つ一つを大切にしたい。

明日死ぬかもという想像と、今を生きるその発想の出所は同じだ。

そして、お坊さんがコロナのことや、過去の震災で苦しんだ人のために祈り続ける。困って戸を叩く人を受け入れる。その心を私も持ってゆけたら、同じ優しさをもつ人たちと共鳴してゆける。大師と共にゆくだけでなく、関わるすべての人と、共に、ゆける。そうしていれば、私が扉を叩いたり開ける時も、それに応えてくれる人があらわれるだろう。

 

最終日にも、ウグイスの鳴き声。

 

4/15

関西国際空港終わりー

 

0415日(水)

JAL2501

大阪(関西) 09:20

札幌(新千歳) 11:15

 

 

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また、次の旅へ。