destiny is matter of choice

日々のこと、旅のこと。徒然なるままに。

【旅日記】2015/2/22 キューバにて

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旅をするときだけ、日記をつけている。

 

読み返すことはあまりなくて、アウトプットしながら、頭が整理されることの方が目的だ。だけれど、数年経って読み返したりするときに、日記って本当に面白いなぁと思う。

さして、人様にさらすようなものではないのだけれど、Macの容量がただただやばくて、メモを整理したい、という理由だけで、少しずつ小分けにしていく。

 

時系列の可笑しな旅日記。

 

ーーーーーーー2015/2/22の日記より全文(人名伏せ)

 

20150222

camaguay

朝は5:30サンタクララの近くの街へいくカミオンがあると聞きつけて、宿には部屋にお金を置いて早朝出発した。が、日曜日はダイヤが異なることを忘れていてヒッチハイクを試みるも朝の6:00に自動車が多くある訳もなく、結局サンタクララ行きのvirzulを手配した。途中、シエンフエゴス経由で走られて困ったが無事同着。歩いて15分というチェのモニュメントまで馬車に誘われて15ペソで乗ったがこれは払い過ぎだった気がする。しかも、超短距離なのだ。それでも荷物を無料で預けるために重荷をしょって歩いていたし日差しが強かったのでもう冷静な判断はできていなかった。馬車に乗れて嬉しかったので、そこはよしとしよう。サンタクララはやはり革命の大事な勝敗をきめただけあり、どことなくその雰囲気とチェ崇拝が他の街よりも強いように感じた。

もう一つ奇妙だったのはヴェネズエラを独裁支配していたチャベスの看板を3つほど見たことだろう。今までに他国の代表の看板を立てる国など見たことがない。それだけ、この国がヴェネズエラに頼っていて奇妙な思想の上に成り立っているということなのか。霊廟は見応えのある物だった。1950年代ということもあり写真もあれば、カラーの映像だって残されている。博物館に残されたカメラやパイプ、医学生時代の白衣やトレードマークのベレー帽、ゲリラ線で使われた武器にボリビア時代のランタンやペン、手紙や医学生の身分証、子供時代の写真など遺品は多岐に登る。チャーミングな人柄と彼のカリスマ性がよく見える場になっていた。数時間の滞在だがサンタクララによったことはキューバに足を踏み入れる上で大事なステップだったように思う。

また昼食を人民レストランでとったのだが、この街では5件ほどのレストランが軒を連ねていてそのうちの一見で定食を食べたのだが、これが奇妙な店だった。というのは、手前にピザやパスタ、弁当といった軽食コーナーで食事をする人のスペースがあり奥には冷房の効いた別室があるのだ。明らかにランクわけされたレストランだ。私たちは奥に通されたのだが、食事をしている現地人の豊かさが明らかに違う。というのは、2ペソで飲めるリフレスコではなく、ビールや10ペソコーラを普通に飲む客なのだ。そして嫌な気になるのは同じ国の人間なのに明らかな格差を気にせずに生活する様だ。私たちは外の客と一緒の方が良いし、他の国ではバックパッカーなんて上質な扱いを受ける物ではないのだから、変な気分になる。その後は、途中の街ではカサパルティクラがないこともあり、先を急ぐ形でカマグエイまでvirzulをとることになった。再度奇妙なのは、virzulであるにも関わらず利用者がキューバ人ばかりということだ。この国の格差は大きい。どれもここ数年の話なのだからそれが恐ろしい。「貧しいけどみんなで協力し合って生きるキューバ人」は「家族以外にはシェアしないキューバ人」になってしまったのだろうか。資本主義ならわかるけど、変に経済をかえるとこういうことが起こりえるという現れなのだろうか。カマグエイは客引きが1人しかいなかったこともあり、それに乗っかることにした。と、いうのもセントロが遠いのだ。幸いクラッシックカーの白タクで2CUCのチップで宿先までついたあげくいい写真がとれたので、それはよしとしよう。

カマグエイの宿ではキューバ人夫が政府に無罪の罪で収容されているというオランダ人のイスラというおばさんに宿であった。彼女はこのカサに住んで5ヶ月夫の釈放を願う書面手続きなどをしているらしい。英語を話してくれたのだが、もちろん社会主義者ではないのだが、外国人と結婚をしていることも収容の理由らしかった。彼女とはキューバの不思議について話し合った。例えば、警察の月収が800ペソ、弁護士や医者で650ペソ、他250ペソというキューバ人の月収はやはりきくままなのだが、ここのカサはとびきり金持ちとみえる。もちろん外食にはCUCのレストランに行くし、やはり海外亡命をねらってもいるらしい。カマグエイは夜について1時間ほどメイン通りをあるいたのだが、ハバナオビスポ通り以上にものがあふれていて、しかもキューバ人がレストランにはいれずに列をなしている奇妙さがある。人民飯など、手に入らないのだ。しかし、やはり貧富の差はあるらしく白いズ他袋をもった人はアルミ缶を集めたりしている。イスラが友人になったガルスエラおばあさんの家がとても貧しいキューバの現状が見えるということで彼女の家へ二人でお邪魔した。10代の孫2人、教師とセキュリティともう一つの仕事を掛け持ちする娘さん、さらに70を越えるガルスエラさんも街に観光客のガイドをしたりと稼ぎを作るのに苦労している。やはり外国に家族がいない家ということで、貧富の差はそこにあるということだった。カサの娘はお嬢様ばりにドレスを着て、貧しい家の子はお古の洋服を着ている。ガルスエラさんの洋服もやはり貰い物だそうだ。配給手帳をみせてもらうと、一人当たりの月の量は決まっていてそれでは満足でないという。しかも店のサンドイッチやジュースの量はg表示なのに、sこでは未だにポンド表示でアメリカ文化が残っているのも不思議だ。砂糖、マメ、ご飯、油などなど。今月分はもう貰いきってしまったというから、あとは娘が仕事を三つ掛け持ちして補う。それでも足りずにイスラの滞在先カサからビールの空き缶やボトルをもらって廃品回収を生活費の足しにしている。部屋は、ドアの突き当たりがキッチン、リビングは実質そのドアから続く廊下。2部屋の1ベッドに3人、1人で別れて就寝している。タンスなんてない。テレビはかろうじて12インチ程度のブラウン管のものがあった。家には写真はかざってあるが、カサにあるような調度品はない。ソファはなく木と鉄のロッキングチェアーが2脚、テーブルは一つ。トイレが寝室の奥にあるのだが、扉はなくその匂いが家中に充満していた。友達の家でもそこにイスラが滞在できないという理由がわかる。すべては、家族が外国にいないから。孫娘には弁護士になってほしいといった。おばあさんはポルトガル語と英語を話すが、学校の英語教育も教師の英語の質が低く、辞書すら満足にないという。また裕福な家のこの方が力をいれて教育してもらえるらしい。医療はキューバのお国ゲイだろうと話をふってみたが、それももしたら情報戦略でないかと実際にキューバの病院にかかったイスラはいった。正直ここまで貧しい家を見るのは初めてだ。自分に出来ることは何かないかとおもったが、コミッションがはいるということでサンティアゴでクーバとハバナの知人カサを紹介してもらった。それからポストカードを二枚自分の住所を書くと行って出してきた物を安価に譲ってもらうことにした。2枚で60円。私にしたらお店で買うより安い。ガルスエラさんが買うよりも少しいろがついている。あとはペットボトルをあげる約束をした。お金を直接渡してほしいともはっきり言われたが、それでは解決にならないのだ。キューバはこれからもっと格差が広がって行くだろう。自分も日本では将来貧しい生活になる可能性もある。それでも人間として最低限以上に十分な生活が出来るだろう。この国の格差は努力の問題ではないのだ。自分は非力だ。この話を発信することも出来るが人の生活の中身を写真におさめる気にはなれないのだ。明日、カマグエイを出る。もっと毎日一生懸命生きなくては。

ネットのないキューバ生活が心地いい。この生活は維持するべきだと思う。FB必要以上にするのはやめよう。